スヴャトポルク=ミルスキー家
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スヴャトポルク=ミルスキー家(ロシア語Святополк-Мирский、ポーランド語Światopełk-Mirski、英語Svyatopolk-Mirsky)は、ベラルーシに起源を持つ、ロシア及びポーランドの貴族。
15世紀後期、リトアニア大公国の時代にミルスキー家として現れた。ミルスキーの家名は、居城ミール城w:Mir Castle Complexに由来する。その後、リューリク朝のキエフ大公スヴャトポルクw:Sviatopolk I of Kievの末裔と自称した。スヴャトポルク=ミルスキーの家名はここに由来する。もっともリューリク朝に起源を持つという同家の主張は、19世紀になってポーランドとロシアの主要な系図学者によって偽証とされた。
歴代当主はロシア皇帝に対して忠誠と献身を捧げた。1861年皇帝アレクサンドル2世によってスヴャトポルク=ミルスキーの家名と起源が公的に承認されている。
1831年ポーランド蜂起(十一月蜂起)が起こり、反乱軍によって領地も破壊された。これを機会にスヴャトポルク=ミルスキー家は、サンクト・ペテルブルクに移り一族はロシア帝国の貴族官吏を輩出した。
[編集] 著名人
- トーマス・ボグミール・ヤン・スヴャトポルク=ミルスキーThomas Bogumile Jean Sviatopolk-Mirskii (1788年-1868年) - ポーランド共和国駐露大使
- ドミトリー・イワノヴィッチ・スヴャトポルク=ミルスキーw:Dmitry Ivanovitch Sviatopolk-Mirskii (1825年 - 1899年)、 トーマス・ボグミール・ヤン・スヴャトポルク=ミルスキーの子。ロシアの軍人(陸軍大将)、政治家。カフカス戦争、露土戦争の英雄、国家評議会議員。
- ニコライ・イワノヴィッチ・スヴャトポルク=ミルスキーw:Nikolai Ivanovitch Sviatopolk-Mirskii、 (1833年 - 1898年)、 ドミトリー・イワノヴィッチの弟。カフカス戦争、露土戦争の英雄、ドン・コサックw:Don Cossack Voiskoのヘーチマーン、国家評議会議員。
- ピョートル・ドミトリエヴィッチ・スヴャトポルク=ミルスキー (1857年-1914年)、ドミトリー・イワノヴィッチの息子。ペンザ県知事、ヴィルナ県知事、グリヴナ県知事を経て、ロシア帝国内務大臣となり自由主義的改革に取り組む。
- ドミトリー・ペトローヴィッチ・ミルスキーw:Dmitry Petrovich Mirsky(1890年-1939年) 、ピョートル・ドミトリエヴィッチの息子。D. S. ミルスキーw:D. S. Mirskyの筆名で知られる文学史家、随筆家。
[編集] 外部リンク
- 家系図(ロシア語)
- スヴャトポルク=ミルスキー家の歴史(ロシア語)
- Biography of Dmitry Petrovich Sviatopolk-Mirskii(英語)