スペランカー
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スペランカー | |
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ジャンル | アクションゲーム |
対応機種 | アーケード[AC] コモドール64[C64] ファミリーコンピュータ[FC] MSX |
開発元 | Broderbund |
発売元 | アイレム(=現・アピエス) |
人数 | 1人 |
メディア | FC:320Kbitカセット MSX:256Kbitカセット |
発売日 | AC:1983年 C64:1984年 FC:1985年12月7日 AC:1985年 MSX:1986年 |
『スペランカー』 (Spelunker) は1983年にBrøderbund社より発売されたアーケードゲームで主人公を操り迷宮の最下層を目指すサイドビューのアクションゲーム。日本ではアイレム(=現・アピエス)がライセンス販売を行ない1985年12月7日にファミリーコンピュータで発売。
目次 |
[編集] オリジナルに忠実なファミリーコンピュータ版
1985年にアイレムがファミリーコンピュータ用ソフトとして販売。オリジナルにほぼ忠実な内容。
主人公の落下による死亡判定が非常にシビアであることで有名で、少々勾配のある下り坂で下る方向に前ジャンプしたらそれだけで1ミスとなる程である。おそらく数ドットの落下で死亡すると思われるが、その高さはキャラクターの膝の高さと同等とよく言われる(実際は首の辺りまでの高さでも大丈夫)。この死亡判定のシビアと高め難易度からクソゲーと称されがちではあるが、ゲームのルールとパターンを覚えればクリアはそこまでハードなものではないだろう。またクリア周回を重ねるとクリアに必要なアイテムが見えなくなるなど、難易度が上昇するためどこまで続けられるか(=スコアアタック)というやりこみ要素も存在する。ただし1面あたりのアイテムの数は制限されているので、見つけられなかったら時間切れでミスとなるリスクも大きくなる(ちなみに256周すると257周目が1週目と同じになる)。
当時のアイレムのファミリーコンピュータ用カートリッジは前部に取り付けられた赤い発光ダイオードで電源のオン/オフが確認でき、このソフトが現在にまで記憶に残る原因の一つとなっている。その知名度の高さとインパクトの強さ故に、「スペランカー」という単語はリアルタイム世代を中心に虚弱の代名詞と化した感がある。アイレムのウェブサイトでは『スペランカー先生』として4コマ漫画が掲載されている。
ゲーム性そのものについては、近年「プリンス・オブ・ペルシャ」や「トゥームレイダー」など、制限のシビアなゲームの出現を受け「リアル系洞窟シミュレーターのはしり」として再評価されている。とはいえ、高さだけでなく、何故かコウモリの糞に当たっても死んでしまう主人公の虚弱ぶりのもつインパクトはゲーム性とは別問題なので「ゲーム史上最弱の主人公」という評価が覆る事はないだろう。
[編集] アーケードのアレンジ版
元はブローダーバンド社が開発。1985年にアイレムが大幅にアレンジしたアーケード版は全く別のゲーム内容と見てよい。従来のアクションゲームのような残機ではなく、バイタリティ制を採用しており、高い段差から転落したりガスなどの障害物に当たるとダメージを受ける。何もしなくても、時間の経過でバイタリティが少しずつ減っていくために、回復アイテムを取りながら進む必要がある。パワーアップアイテムを取りすぎるとスピードアップしすぎてかえって死にやすくなる傾向にある。
[編集] 続編
アーケード、ファミリーコンピュータ共に続編が出ているが、上述の通りアーケード版とファミリーコンピュータ版ではゲームシステムは全く別物。アーケード版は前作を踏襲したゲームシステムで最下層まで進むのが目的のアクションゲーム、ファミリーコンピュータ版 スペランカー2「勇者への挑戦」では探検家、エスパー、聖職者の3人のうち誰かを操作し謎を解いていくというもので、HPや魔法(のようなもの)が存在するなど、当時の風潮に強い影響を受け、RPGのテイストが強くなっている。
[編集] 関連項目
- 多村仁 福岡ソフトバンクホークスの外野手で毎年ケガで離脱することからスペランカーと呼ばれている。(特に、2006年は肋骨を4本も折る大ケガをした)また、ケガや離脱することを「スペる」などと言ったりする。
- 小野伸二 浦和レッドダイヤモンズの選手。前述の多村と同じく、ケガが多くたびたび戦線離脱するため、特にフェイエノールト在籍時代の後半、一部のファンからスペランカーと揶揄されていた。
- 諸積兼司 BGMが応援歌として使われている。
- アピエス(1997年 アイレムソフトウエアエンジニアリング株式会社にゲーム開発部門を譲渡)
- アイレムソフトウェアエンジニアリング