スタンリー・マシューズ
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サー・スタンリー・マシューズ(Sir Stanley Matthews, 1915年2月1日 - 2000年2月23日)はイングランド出身のサッカー選手。ポジションはFW。
イングランド史上に残る天才ウイングプレイヤー。『ドリブルの魔術師』の異名を持ち、右アウトサイドで繰り出すフェイントテクニックや華麗なドリブルテクニックは『マシューズ・トリック』と呼ばれた。1956年には最初のバロンドール受賞者となり、1965年にはサッカー選手としては初めてナイトの称号『サー』を授かる。ちなみにバロンドール自体がマシューズを称えるために作られたという話さえある。17歳でプロデビューし引退したのは50歳、この33年間の現役時代、一度も警告を受けた事が無いというまさに「究極のフェアプレイヤー」である。
[編集] プロフィール
1932年、17歳でストーク・シティとプロ契約し1934年9月29日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1939年、第2次世界大戦の影響によりイングランドリーグは中止となり彼のキャリアは一時中断する。7年ぶりにリーグ戦が再開された翌年の1947年ブラックプールへ移籍。
1953年5月3日FAカップ決勝戦ボルトンとの試合ではロスタイムでの大逆転劇勝利の立役者となり、この試合は『マシューズ・ファイナル (Matthews Final) 』と呼ばれFAカップ史上最も劇的な試合とされている。
1961年、当時2部のストーク・シティに戻り、1年後の62-63シーズンには1部昇格を果たす。1965年2月6日のフラム戦を最後に引退した。50歳での出場は最年長記録である。
ストーク・シティのホーム、ブリタニア・スタジアムの側には業績を記念してマシューズの銅像が建てられている。
[編集] 所属チーム
- 1932-47年 ストーク・シティ
- 1947-61年 ブラックプール
- 1961-65年 ストーク・シティ
先代: - |
欧州年間最優秀選手 1956 |
次代: アルフレッド・ディ・ステファノ |