ジョン・バッカス
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ジョン・ワーナー・バッカス(John Warner Backus、1924年12月3日 - )は、アメリカ人の情報工学者。初期の高級プログラミング言語(FORTRAN)の発明者、(形式言語の文法の定義に汎用的に用いられる)バッカス・ナウア記法の発明者、また関数レベルプログラミング(Function-level Programming)の提唱者でもある。彼は1977年にこれらの独創的な業績によりチューリング賞を授与された。受賞理由は以下の通り:
- FORTRANに代表される実用的な高級プログラミングシステムの設計への深く、影響力のある貢献に対して。そしてプログラミング言語の仕様記述の形式的手法についての独自の貢献に対して
[編集] 経歴
バッカスはペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれ、デラウェア州ウィルミントンで育った。ペンシルバニア州 Pottstown の Hill School で学んだが、まじめな学生だったとは言えない。化学を学ぶためにバージニア大学に進学したが挫折し、アメリカ陸軍に入隊して医学を学ぶも9ヶ月で再び挫折した。
ニューヨーク市に移り住み、ラジオ技術者としての訓練を受け始め、数学が向いていることに気づいた。彼は1949年にコロンビア大学で数学の学士号を取得し、1950年にIBMに入社した。IBMでの最初の3年間、彼はSSECを使った仕事に従事した。最初の大きな仕事は月の位置を計算するプログラムを作成することだった。
プログラミングが難しいことから、1954年になるとバッカスはチームを結成してIBM 704コンピュータのためのFORTRANの設計と開発を行った。これは世界初の高級プログラミング言語ではないものの、広く使われた世界初の高級言語となった。1950年代後半、バッカスはALGOLを開発した国際委員会の一員としても働いた。ALGOLはアルゴリズムを記述する際の世界的なデファクトスタンダードとなった。また1959年、ALGOL開発のために言語仕様記述のためのバッカス・ナウア記法を考案し、これは今日でも拡張されて広く使用されている。
その後彼は「関数レベルプログラミング言語」FPに取り組んだ。これはチューリング賞受賞の際の講演 "Can Programming be Liberated from the von Neumann Style?"(プログラミングはフォン・ノイマン的スタイルから解放されるか?)で述べられている。この論文は FORTRAN を生み出したことへのバッカスの謝罪と受け取られることもあり、彼の研究していた FP そのものよりも関数型プログラミング一般の研究を盛んにする結果となった。FP はケネス・アイバーソンのAPLの影響を強く受けており、標準的でない文字も使っている。その後のバッカスは FP言語の後継のFL(Function Level)の開発に注力した。FL はIBM内部のプロジェクトであり、プロジェクト終了とともに言語の開発も終了し、論文もわずかしか発表されていない。しかし、この言語の革新的で重要なアイデアの数々はアイバーソンのJ言語に実装された。
バッカスは1987年にIBMのフェローとなり、1993年にはチャールズ・スターク・ドレイパー賞を授与された。1991年、彼は引退生活に入った。
[編集] 外部リンク
- バッカスの伝記: [1], [2]
- 1977年チューリング賞講演: Can Programming Be Liberated From the von Neumann Style?
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