ジョン・カッティング・ベリー
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ジョン・カッティング・ベリー(John Cuting Berry、1847年1月16日 - 1936年2月9日)はアメリカン・ボード宣教医、同志社病院院長。
アメリカ合衆国メイン州に生まれる。4歳の時、船長だった父が死に、父の友人の家に引き取られ、キリスト教の影響を受けて17歳で受洗。働きながらボドウィン大学を卒業。22歳の時に医師となることを決心し、1871年にフィラデルフィアのジェファーソン医科大学を卒業。翌年6月に来日。神戸の生田神社前で貧しい人々の施療所を設け、また神戸監獄を訪ね、重病者を治療した。この時の獄内事情を記した獄舎報告書は、のちに訳されて内務卿大久保利通に届けられ、日本における監獄改良運動の端緒となった。1878年、岡山に移って医療伝道に従事。1883年京都に移り、医学、病院、看護婦学校の設立に参与。1887年同志社病院院長に就任。1893年日本を去りマサチューセッツ州ウースターの市民病院で眼科・耳鼻科を担当、軽費病院の訪問医を努めた。
カテゴリ: アメリカ合衆国の医学者 | 医師 | 1847年生 | 1936年没