ジェームズ・チャーチワード
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ジェームズ・チャーチワード(James Churchward、1852年 - 1936年1月4日)は、アメリカ合衆国在住のイギリス人でムー大陸についての著作を書いた作家である。
父ウィリアム・チャーチワードが1890年に『ブルックリン・タイムズ』土曜版沈んだ大陸の投稿をしたとされ、ジェームズは父の遺志を継いだという。また。1931年4月20日アメリカ心霊現象研究会(ASPR)で講演会を行なうなど心霊団体にも関わっていた。講演録は、ハンス・ステファン・サンテッスン『ムー大陸の理解』(1970年)に収録されている。1936年1月4日、84歳のときロサンゼルスで講演中に倒れ死亡。墓はニューヨーク郊外にありムー帝国の紋章が刻まれている。
[編集] 主張
チャーチワードは、1868年にインド(又はチベット、ミャンマー)でイギリス軍に所属していた際、寺院の僧に絵文字のある粘土板(チャーチワードはナーカルとよぶ)を見せられたという。1880年にイギリス陸軍大佐で退役し、この絵文字を解読したところ、ムー(チャーチワードによると発音はMOO)大陸の聖なる霊感の書であったという。友人のウィリアム・ニヴンがメキシコで発見した石板を見せられた際にナーカルと同じ絵文字があったことがムー大陸の著作をするきっかけとなったという。絵文字はマヤのトロアノ絵写本、チベットのラサ記録に記載されていたという。
だがその後、マヤのトロアノ絵写本は解読され別内容と判明、チベットのラサ記録は偽造文書であった事が発覚した。また、イギリス陸軍にも在軍の記録がないため、大佐での退役を始めとする軍の経歴は総て詐称とみなされている。これらの事実のほかにも数多くの矛盾点が見出されている事から、現在、ムー大陸は近世の創作であったと言う説もある。
ちなみにムー大陸の「ムー」とはチャーチワードが解読したとするナーカル文字に「ムー」という解読不能な言葉が繰り返されることから命名されたもので、「ムー大陸」という大陸があったという意味ではない。おそらく英語の「THE」のようなものと解釈される。ムー大陸の証拠とされるイースター島のモアイ像などがあるものの、地球物理学の観点から「太平洋に沈んだ大陸は存在しない」ことが証明されている。ただし、ムー大陸はなかったが、日本も含む太平洋の島国をつなぐ文明圏は存在したのではないかという可能性は提唱されている。
[編集] 著作
- 『メイン州北東部への大物釣りガイド』("A Big Game and Fishing Guide to North-Eastern Maine")
- 若年のころアメリカで著述。
- 『失われたムー大陸』("The Lost Continent of Mu"、1931年ニューヨークで出版)
- 『ムー大陸の子孫たち』("The Children of Mu"、1931年)
- 『ムー大陸聖なるシンボル』("The Sacred Symbols of Mu"、1933年)
- 『ムー大陸の宇宙力』("Cosmic Forces of Mu"、1934年)
- 『ムー大陸の宇宙力第二の書』("Second Book of Cosmic Forces of Mu")
- "Books of the Golden Age"
- 草稿のまま出版されず70年後に公表されたもの
[編集] 外部リンク
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