ジェイソン・キッド
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男子 バスケットボール | ||
金 | 2000 | バスケットボール |
ジェイソン・フレデリック・キッド(Jason Frederick Kidd, 1973年3月23日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。カリフォルニア州サンフランシスコ出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのニュージャージー・ネッツに所属している。ポジションはポイントガード。背番号は「5」。NBAで有数のポイントガードでもある。
193cm、95kgとポイントガードとしては長身。身体能力は決して高くないが、類稀なパスセンスとチームを操る術に長けており、弱小チームであったネッツを2年連続NBAファイナルに導いたことにより、その評価を不動のものとした。フリースローを打つ時にはリングに向けて投げキッスをする。
[編集] NBAでの経歴
1994年のドラフトで全体の2位指名を受け、ダラス・マーベリックスへ入団。同シーズン、ルーキーながらチームの司令塔として79試合に出場。11.7得点、7.7アシストのアベレージを残し新人王を獲得する。前年にドラフトされたジャマール・マッシュバーン(4位指名)、更に前の年にドラフトされていたジミー・ジャクソン(4位指名)にキッドを加えた3人は、その頭文字から“トリプルJ”と呼ばれ、スタートリオとして話題になるとともに、マーベリックスは将来を大きく期待されるチームとなったはずだった。しかしキッドが2年目を迎えたシーズン、ジャクソンとマッシュバーンの間に軋轢が生じ(キッドはジャクソン派)、結局マッシュバーンがマイアミへ移籍することでトリオは崩壊してしまう。更に、キッドとジャクソンも女性をめぐる三角関係のもつれから対立、キッドもダラスを去ることとなり、1996-1997シーズンにフェニックス・サンズへ移籍した。また、2001-2002シーズンにはニュージャージー・ネッツへ移籍している。 上記のようにキッドは2回移籍を経験しているが、1996-1997シーズンのサンズも2001-2002シーズンのネッツもキッドが入団した年は前年から勝ち星を増やしている。特にネッツはキッド移籍まではドアマットチームとなっていたが、2001-2002シーズンには勝ち星を前年の2倍以上に増やした。そしてキッドはその年のMVP投票で2位になった。
同年、ネッツは初めてNBAファイナルに進出するが、ロサンゼルス・レイカーズに敗れた。翌シーズンもNBAファイナルまで進出するも、今度はサンアントニオ・スパーズに敗退。悲願の優勝はかなわなかった。 2003-2004シーズンはカンファレンスセミファイナルでデトロイト・ピストンズに惜しくも破れ、ファイナル進出はならなかった。
また、オールスターゲームの最多3ポイント記録(11本)をコービー・ブライアントとタイ記録で保持している。
2004-2005シーズン、キッドはオフの間に手術した膝が完治せず、開幕に間に合わなかった。しかし、12月6日のトロント・ラプターズ戦に復帰。21分間の出場で、10得点、6リバウンド、3アシストを記録。チームの勝利に貢献した。キッドが欠場するとチームの勝率は大幅に悪く、まさにネッツの大黒柱といえる存在となっている。しかし、年々アシスト数が減っていく傾向にありフットワークの衰えがささやかれている。しかしながら、チームメイトのビンス・カーター、リチャード・ジェファーソン、ネナイド・クリスティッチらがキッドをフォロー。特にカーターは、今までのネッツになかったハーフコートオフェンスの能力を持ち、チーム1位の得点を挙げ、キッドの負担を軽減するのに一役買っている。
また、キッドはポイントガードでありながらリバウンドも積極的に取りにいくタイプであり、得点、リバウンド、アシストの3部門でトリプルダブルを量産、記録した回数は現役最多を誇っている。
[編集] 受賞歴
- 新人王: 1995年
- オールルーキーファストチーム: 1995年
- アシスト王: 1999年-2001年、2003年、2004年
- オールNBAファーストチーム: 1999年-2002年
- オールNBAセカンドチーム: 2003年
- オールディフェンシブファーストチーム: 1999年-2002年
- オールディフェンシブセカンドチーム: 2004年