シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国
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シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国はユトランド半島南部に位置した二つの小公国の総称。両国ともにドイツ人、デーン人(デンマーク人)が混在していたため、中世以来争いが絶えなかった。
- 8世紀、ダーネヴィアケが築かれる。シュレースヴィヒとホルシュタインの原境界となる。
- 9世紀、ダーネヴィアケを巡って、デーン人とフランク王国が争いを繰り返す。
- 12世紀、ハンザ同盟により北ドイツ商人の経済攻勢が始まる。
- 1397年、北欧諸国がハンザ同盟に対抗するためにカルマル同盟を結成する。
- 1460年、デンマーク王国(カルマル同盟=オルデンブルグ朝)が両国を同君連合とする。
- 1544年、オルデンブルク家の分家、ホルシュタイン・ゴットルプ家に移譲。
- 1696年、スウェーデンと同盟。大北方戦争で共闘。
- 1720年、スウェーデンの敗北により、両公国は、デンマークの主権下に入る。
- 1751年、ホルシュタイン・ゴットルプ家の一族が、スウェーデン王に迎えられる。
- 1762年、ホルシュタイン・ゴットルプ家の当主がロシア帝国の皇帝(ツァーリ、ロマノフ朝)に迎えられる。
- 1773年、両国ともデンマーク王に帰属する(再同君連合)。
- 1815年、ドイツ連邦に加盟する。この事によって形式的にドイツ領になった。
- 1842年、ホルシュタイン公国でドイツ系の反乱。
- 1848年、第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。
- 1863年、デンマーク王にグリュックスブルク家が迎えられる。
- 1864年、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。
- 1866年、普墺戦争の結果により、プロイセン王国に帰属。
- 1871年、ドイツ帝国の成立。
- 1919年、第一次世界大戦でドイツ帝国は敗退し、両公国解体。
- 1920年、住民投票により北シュレースヴィヒ、デンマークに返還。
15世紀以降は両国ともデンマークの主権下に入ったが、ホルシュタインを中心にドイツ系の住民が増加したためにドイツとの係争地となる。1864年ついにドイツ(プロイセン王国主導)とデンマークの間で戦争が勃発(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)。ドイツはオーストリア帝国と連合しデンマークに勝利する。この一連の問題を、「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題」と言う。
1866年、当地の帰属問題とビスマルクの挑発でドイツ・オーストリア間に戦争勃発(普墺戦争)。モルトケ率いるドイツがオーストリアに圧勝し、ドイツ統一のステップとなる。
1920年、第一次世界大戦で敗れたドイツは、住民投票を経て北シュレースヴィヒをデンマークに返還した。
地域区分・名称的にはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の前身。
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