ザ・ベンチャーズ
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ザ・ベンチャーズ (The Ventures) は1959年に結成したアメリカ合衆国のサーフ・ロックバンド。特に日本に於いてはビートルズと並ぶロックの祖とされる。1960年代の日本では、
[編集] 来歴
ベンチャーズが本国アメリカで人気があったのは1960年代までで、1970年代にはほとんど無名のバンドに転落した。しかしながら、日本における人気は絶大であった。
現在は世界的に有名なグループであるが、グループはもっぱら日本とヨーロッパで多くのアルバムを発表し、現在でも日本に於いて定期的にコンサートツアーを行っている。その他、作曲家としても日本向けに「京都慕情」、「京都の恋」(渚ゆう子)、「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「北国の青い空」(奥村チヨ)を送り出している。アメリカのバンドではあるものの、アメリカ以上に日本のポップシーンに影響を及ぼした。レコード等の総売上は4000万枚を超える。
60年代当時、2ヶ月に1枚のハイペースでアルバムを出しながらツアーを回るというスケジュール事情から、ベンチャーズのメンバーは60年代には基本的にステージメンバーであり、レコーディングでは過半数の音源がスタジオ・ミュージシャンによるものであるという研究もなされてきているが、そんなことは全くのデマであり、他のアーティストのシングル発売のペースでアルバムを発売していた。
[編集] メンバー
メンバーは、ボブ・ボーグル(Bob Bogle、ベース、初代リード・ギター、1934年1月16日-)およびドン・ウィルソン(Don Wilson、リズム・ギター、1933年2月10日-)の二人を中心として、現在はジェリー・マギー(Gerry McGee、三代目リード・ギター、1937年11月17日-)、リオン・テイラー(Leon Taylor、ドラム、1955年9月23日-)の四人で活動している。初代のドラマーはホーウィー・ジョンソンで、ホーウィーが交通事故のため62年に引退後、リオンの父であるメル・テイラー(Mel Taylor、1933年9月24日-1996年8月11日)が加入、全盛期を支えた。メルは1972年に一時脱退し、ジョー・バリル(Joe Barile、1947年-)が加入したが、1978年に脱退し、メルが復帰した。メルは96年に死去、以後リオンがドラムを担当している。二代目のリードギタリスト(初期ベーシスト)はノーキー・エドワーズ(Nokie Edwards、1935年5月9日-)で、そのカントリー・ピッキングをベースとした卓越したテクニックは、特に日本のギタリスト達に大きな影響を与えた。ノーキーは80年代にベンチャーズを脱退したが、現在もノーキーがベンチャーズに参加してライヴを行うことがある。デビュー時を除き、メンバーは常に4人と思われがちだが、1969年には元ファイブ・アメリカンズのジョン・ダリル(John Durrill キーボード、1941年8月2日-)がキーボードとして正式加入し、5人体制になった。ジョンが1972年に脱退して以来、現在のスタイルで固定されている。