サーリフ
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サーリフ(1201年-1249年11月、在位:1240年-1249年。英:Al-Malik as-Salih Najm al-Din Ayyub。アラビア語:الصالح نجم الدين أبو الفتح أيوب بن الكامل。)は、アイユーブ朝第7代スルタンである。父は第5代スルタンアル・カーミル。英雄として知られたアイユーブ朝の建国者サラディン(サラーフ=アッディーン)と同名と言うことでサラディン2世と呼ばれる事がある。
1249年、ルイ9世率いる第7回十字軍がエジプトに侵攻するが、この時サーリフは肺病に罹っており、軍団の統制がとれていなかった。この十字軍は、バフリー・マムルーク軍上がりのスルタン護衛隊長であったバイバルス(当時バフリー・マムルーク軍は軍団長不在であり、彼が代わりに指揮を取っていた)が奮戦したおかげで勝利し、マンスーラの戦い(1250年2月)においてルイ9世を捕虜とすることで終結した。しかし、サーリフはそのはるか前に陣中で没しており、この勝利を見ることはなかった(11月に彼が死亡して、十字軍に勝利するまでの3ヶ月は、彼の妻であるシャジャルッドゥッルが、味方の動揺を抑えるためにサーリフを生きているように見せて指揮を執っていたという)。
彼の死後、妻であるシャジャルッドゥッルは、サーリフとの子であるトゥーラーン・シャーと不和になりこれを殺害。これによってアイユーブ朝は滅亡し、マムルークを支持基盤とし、彼女をスルターナ(スルタンの女性形)とするマムルーク朝へと移行した。