サヴァ川
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サヴァ川 | |
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ドナウ川に合流するサヴァ川 (ベオグラードで撮影) |
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延長 | 940 km |
水源の標高 | - m |
平均流量 | - m³/s |
流域面積 | 95,720 km² |
水源 | - |
河口 | ドナウ川 |
流域 | スロベニア クロアチア ボスニア・ヘルツェゴビナ セルビア |
サヴァ川(サヴァかわ, セルビア語:Сава,クロアチア語:Sava,ドイツ語:Save, ハンガリー語:Száva)は、東ヨーロッパを流れる川である。
目次 |
[編集] 地理
スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアを流れ、ベオグラードでドナウ川に合流する。(ベオグラードがサヴァ川とドナウ川の合流する地点に建設された。)長さは約940km、流域面積は95,720km²になる。ローマ時代には Savus と呼ばれていた。この川はバルカン半島の北限とされている。
サヴァ川には主な水源が2つあり、ともにスロベニア北西のアルプス山脈に存在する。1つの水源はクランスカ・ゴーラ近郊のサヴァ・ドリンカの泉である。「小さいサヴァ」を源とするもう1つの支流は、一度ボヒン湖に流れ込み Sava Bohinjka として流れ出ている。二つの支流はラドヴリツアで合流し、サヴァ谷を流れていく。
19世紀のスロベニアの詩人フランツェ・プレシェーレンは有名な英雄叙事詩 "Krst pri Savici" を書いている。
主な支流としては、リュブリャナで合流するリュブリャニツァ川・サヴィンジャ川・クルカ川・ソトラ川・クーパ川・ウネ川・ヴルバス川・ボスナ川・ドリーナ川などがある。
[編集] 歴史
歴史的にサヴァ川より北側はヴォイヴォディナに相当する。ヴォイヴォディナはハンガリー王国の歴史的地域に相当する。ハンガリー王冠は1526年以降、ハプスブルク家によって世襲されたため、以降第一次世界大戦が終結する1918年までハプスブルク君主国に内包された。
第一次世界大戦時にはサヴァ川がオーストリア・ハンガリー帝国とセルビア王国の国境であった。即ち、セルビアの首都であるべオグラードはサヴァ川を挟んで、オーストリア・ハンガリーと直接対峙していた事になる。このため、オーストリア・ハンガリー軍がサヴァ川を渡河し、べオグラードに侵攻するのが、この方面の戦線でのハイライトになった。
[編集] 通過する都市
サヴァ川は、以下の都市を通る。
- スロベニア
- クロアチア
- ボスニア・ヘルツゴビナ
- サマク
- ボサンスキ・ブロド
- ブルチュコ
- セルビア
- スレムスカ・ミトロヴィツァ
- シャハツ
- ベオグラード
[編集] 航行
サヴァ川は、クーパ川が合流するシサクまで船でさかのぼることができる。小さな船ならば理論上はさらに上流まで行くことができるが、気象条件などにより深さなどが変動するため一概には言えない。