Wikipedia:コメント依頼/Plisoner,Kogane
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[編集] コメント依頼の目的
[編集] Plisoner,Kogane氏の行動に対して
死刑の廃止(元記事)および死刑存廃問題(派生記事:タイトルの勝手な変更の結果)の記事に関し、ノートでの議論を経ない「保護の先制」、「削除依頼」の提出、保護依頼ページにおいて私に対する記事の破壊者などという「ラベリング(レッテル貼り)」など、ゲリラ的な活動が目に余ります。これらユーザーの行為はもちろんですが、管理者の機械的な管理行為そのものに強く不快感を呈します。なお、これらユーザーは世の中に「死刑の廃止」という潮流があることをどうしても認めたくない人たちであると考えます。これらユーザーと管理者の機械的な管理行為のため、この土日の作業が無駄になりました。時間を返してください。--2006年12月3日 (日) 08:46 (UTC)
- 当方にも手続上の問題があったことを認め、お詫びします。ノートにおいて記述を追加しました。
[編集] 提督氏の行動に対して
死刑存廃問題のノートページや、保護依頼ページ、死刑の廃止の削除依頼ページにおける、ウィキペディアにおけるルールやマナーを無視した不誠実な対応、言動を繰り返しています。時間を返せ、なんてことはいいませんが、彼が今後よきユーザーとなりうるよう、誠意ある対応と編集態度の改善を求めるため、異例ですが本コメント依頼の依頼者である提督氏の行動に関するコメントも同時に求めます。--Plisoner 2006年12月10日 (日) 07:52 (UTC)
- 誠意のあるなしは第三者の判断を待つとして、ノートにおいては極力丁寧な対応をさせていただいております。私の将来について気を遣って頂いているのは恐縮の極みです。--提督 2006年12月10日 (日) 13:40 (UTC)
[編集] Plisoner氏の脅迫行為らしき投稿について
Plisoner氏の名誉のため、ここへの掲載を躊躇しましたが、ノートにおける、Plisoner氏の2006年12月10日 (日) 07:37 (UTC) の投稿について、一種の脅迫行為に該当するのではないかとの疑義を提出させていただきます。現在、当該ノートにおいてIPユーザを含め、集中砲火の的になっていますが、個人的な稼働の問題もある上、精神的に厳しくなりつつあります。--提督 2006年12月10日 (日) 13:34 (UTC)
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- 「ノート・死刑存廃問題」で、提督さんが書いてきた文章についての問いに対しての、提督さんの回答(2006年12月9日 (土) 10:45 )が、「答えになっていない」とPlisonerさんが指摘されているようです。後半は・・・、提督さんの投稿のやり方や内容に問題があるとの指摘ですね。「脅迫」、すなわち「相手を自分の意に従わせるため何かを無理強いする」様な内容ではないとおもいますがね。--222.148.78.171 2006年12月11日 (月) 05:37 (UTC)
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- 「書きかけ」を本文に掲載したことのことでしょうか? それについての批判は概ね受け入れますが、こちらにも言い分がありますよ、という程度の認識で、それに沿った回答をしましたが、そのことがどうして「謹慎しろ」とか「投稿ブロックや追放処分を受けるぞ」という話まで一気に昇華するのか分からないです。おかしければ削除してノートに一言書けばそれで済む話だと思うのですが…。Wikiのルールでは「書きかけ」の掲載が追放処分になるほどの重大な違反行為なのでしょうか? 正直怖いですね。あと、脅迫かどうかは断定できませんが、実際に言われた側の率直な感想としましては、「論争で不利になったら論争相手そのものを抹殺する」という実に非紳士的なものを感じました。いくらなんでも「謹慎しろ=消えろ」はないでしょう(笑)。--提督 2006年12月11日 (月) 14:25 (UTC)
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- なにが「一言書けばそれで済む話」だか。提督さんに問題行動を指摘して、一言で済んだことなんか無いでしょう。連続投稿の問題がいい例ですよ。何度も同じ事言わなくてはならないので、Plisonerさんもウンザリしたのでしょう。それに提督さんが投稿した「書きかけ」とやらは、Koganeさんも指摘しているように、「書きかけ」以前の意味不明の「メモ」程度。一言で済むというのなら、ぜひ一言で反省してもらいたい。--水田 2006年12月12日 (火) 00:48 (UTC)
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[編集] 水田氏の行動について
文脈の完全無視により、当ページでの会話成立が全く望めません。--提督 2006年12月13日 (水) 14:54 (UTC)
- 水田さんの話の内容は明瞭だ。「議論」は適正に行なわれている。Plisonerさんが、提督さんによる「記事破壊」や短時間の連続投稿など、その問題行動を批判し、誠意ある行動を促した事に対し、提督さんが真摯に答えていない点を指摘し、批判したものだ。提督氏は、自分に都合の悪いの点や気に入らない事を指摘されると、「会話が成立していない」などと、妙な言いがかりをつけて、ごまかそうとする事が常だ。いいかげんになさい。--Kogane 2006年12月16日 (土) 04:25 (UTC)
[編集] 提督さんへのコメント
もし、死刑の廃止があの状態のままで、多くの人の加筆が入った後に削除依頼が出されたとしたらどうでしょうか?おそらくもっと多くの人が「時間を返せ」と思ったでしょうし、その批判は、問題のある分割を行った提督さんに向けられていたはずですよね。なお、死刑の廃止の記事のうち、提督さんが加筆された部分のみをローカル環境に保存して、それを手直しした上で再び死刑存廃問題へ投稿することは可能なはずです。また、分割案の作成のようなものはノートページよりもご自身の利用者ページにサブページを作成して、そこで行うのがいいかと思います。一応断っておきますが私はKoganeさんとは別人ですよ。--Plisoner 2006年12月6日 (水) 20:10 (UTC)(修正--Plisoner 2006年12月6日 (水) 20:11 (UTC))
- Plisonerさん、コメントありがとうございます。分割の手順に問題があったことはお詫びします。ただ、分割の必要性に関しては「Wikipedia:記事の分割と統合(草案)」にある通り、おそらく議論の余地はないかと考えています。そして、「あの状態」が本来あるべき姿なのです(国語レベルの話として)。先日の分割行為に関しては結果として主にGFDLの観点からの批判が多くありましたが、Wiki内で完結している範囲でのコピペに関しては、いまいち納得できないものがあります。ともかく、私は既にノートにおいて「記事分割の実施要項(案)」を提出しており、広く建設的な意見を求めるよう努力しています。分割案の作成と提出をノート以外の場所でやるべき、という意見にはついていけないです。いつのまにか、どなたかが「項目分割の提案」のテンプレートを貼ってくれていてありがたく思っています。--提督 2006年12月8日 (金) 19:29 (UTC)
[編集] 「死刑の廃止」と「死刑存廃問題」は主題が異なる
死刑の廃止で、死刑の廃止へと進めている運動の側の立場からの記事が存在してもよく、この場合は、「死刑廃止運動」の記事である以上、NPOVの確保は、別の記事、死刑存廃問題が、死刑制度の存置と廃止についての議論を扱った記事が存在することの紹介、また存置意見についての言及だけで十分なはずである。ある思想的・社会的運動の記事は、その運動の立場における記述が存在しても中立性が崩されているとは必ずしも考えられない。「死刑の廃止」ではなく、「死刑廃止運動」というような記事名にすれば、これは「廃止に向けた運動」の記事であって、独立性は維持できると考えます。それなら、「死刑存置運動」の記事がないとおかしいということであれば、立てればよいと思います。
なお、この場合、先にあったのが、「死刑の廃止」なら、記事名変更・記事移動提案を行うのが手順なのですが、ノートと履歴で見た限りでは、そのような提案が行われたようには見えません。そういう提案があり、合意の上で移動が行われたのでしょうか? この記事は、初版が、 2003年3月23日 (日) 09:09 で相当に古い記事であるので、勝手に移動したのであるなら、移動した方に問題があります。合意無く、勝手に移動したのが事実なら、現在の削除依頼終了の後、開いた場所に、現在の「死刑存廃問題」を移動させて原状回復させ、その上で、「死刑存廃問題」という記事を作成したい者が、GFDL の手順に従って、内容をコピーして別の記事を造るのが手順的には妥当でしょう。提督氏は、分割提案など関係なく、このように原状回復を行えばよいでしょう。
ある特定の思想や運動を記述する記事について、それを否定する思想や運動があるからと云って、POV のテンプレートを貼るのは、それ自体がおかしいことでしょう。死刑廃止の潮流は、世界規模で20世紀において展開されて来た歴史があり、「死刑存廃問題」はそれに対して、死刑制度をなお維持している国、例えば、日本などでの話であり、すでに死刑制度を廃止している国では、「存廃問題」ではなく、「死刑復活問題」という記事名になるでしょう。従って、インターナショナルな視点を持つ「死刑廃止運動」と、ローカルな問題を扱う「死刑存廃問題」は別の主題を扱う別記事と考えるのが妥当です。これに対し、有効な反論がないなら、削除の後で現状回復(つまり、「死刑の廃止」への移動)、そして望む者による「死刑存廃問題」の記事の新規作成というのが妥当な手順でしょう。--Maris stella 2006年12月10日 (日) 02:02 (UTC)
- (追記:スタイルを全体に少し見やすく変えました。--Maris stella 2006年12月10日 (日) 02:02 (UTC))
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- 手順の問題はルールに従って判断されるべきとして、タイトルと主題に論点を絞ります。まずタイトルの変更に、その経緯は知りませんが、手続上の瑕疵があったというのなら、記事の分割など突然持ち出さずに、どのようなタイトルが適切かを問えばよかったのです。しかし、そもそも死刑制度を巡る議論自体が複雑で、様々な意見があるのだから、加筆を経て内容が多角化し、豊富になるのは当然で、実態に即したタイトルに変更する動きが出るのは自然だと思います。
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- この記事の主題・内容は、死刑制度に関する問題や議論を、簡潔に理解できる百科事典の記事はどうあるべきかという観点で検討すべき。その場合、議論の中身を「死刑の廃止」とか「死刑復活問題」、「死刑廃止運動」などと分割・細分化してページを乱立させるのは、むしろ死刑制度をめぐる議論や問題の全体像が把握しにくくなるとも考えられます。むしろ、死刑制度が内包する諸問題やそれに関する様々な議論を1つのページ内で整理・要約し、現在の社会や世界の国々でどのような議論がなされ、現状がどう推移してきたのか、その全体を俯瞰できる方が、百科事典の記述として相応しく、利用しやすい記事になると思います。--Kogane 2006年12月10日 (日) 05:27 (UTC)
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- 記事内容が充実するにつれ、記事名を変更するのが適切との判断が出て来るというのは分かりますが、そのときには、「改名提案」を出し、一週間から二週間程度の時間を待って、「合意形成」するのがウィキペディアにおける慣習です。合意形成がなぜ必要かと云えば、現に、過去に「移動保護」されて移動できなくなっていました。このような編集争いを避けるためにも、提案を行い、話し合いによって改名も決めるというのがウィキペディアの流儀です。
- 次に、「死刑制度」に関連しては、膨大な議論があり、また色々な視点からこの問題を取り上げることができます。記事の乱立とかいっておられるが、たかだか二つの記事、三つの記事を示唆しただけで、「乱立」とはいささか過剰な表現です。わたしが述べた、二つの記事は主題が異なるという説明に対し、「記事の乱立は困る」だけでは、有効な反論とはとても言えないでしょう。ウィキペディアは紙の百科事典ではないので、明らかに主題内容が違っている場合は、別の記事を立てることは何の問題もありません。歴史的な事件などの記事が複数あるというのは困りますが、死刑に関しては、「死刑は是か非か」または「国家等による懲罰目的の殺人は許されるのか」という主題がまず考えられるでしょう。この問題は、「死刑」という刑罰制度の問題でもあるので、あなたの論法なら、「死刑」という記事のなかで、詳細に集約して記述すべき主題で、「死刑存廃問題」などという分割した離散記事は立てるべきでないということにもなるでしょう。そうなのですか?
- 日本国内における「死刑存廃問題」と、世界規模での「死刑廃止運動」は明らかに別の主題を持っていると述べています。世界中の国で、死刑制度のある国とない国で、それぞれに、廃止議論や、復活議論が当然存在するでしょう。これらの議論や問題を、一つの記事に集約して書くと云われるのでしょうか? 記事は、50キロバイトぐらいが上限で、100キロバイトになっても構いませんが、そうなると、記事を分割するという方向になります。日本語版では、まだあまり例がありませんが、(実は、サブカルチャでは例がたくさんありますが)、メインとなる記事で概説を書き、詳細は、個別節テーマ記事へ分割というのがごく自然に起こってきます。
- 何を扱う記事かによって、どれぐらいの大きさになるのかが或る程度判断できます。例えば、わたしが作成した、ゾフィー・フォン・キューンという記事は、現在の数倍程度にまでは大きくできるかも知れませんが、それ以上は、主題に則した記述は無理だと考えます。ノヴァーリスとの関係で、影響関係などを記述すれば、記事はかなり大きなものとなる可能性がありますが、それは百科事典の記載内容というより、別の何かになるでしょう。
- 他方、「死刑」という主題は、世界の国ごとで制度があり(死刑のない国も、ないという制度があります)、これを記述していくだけでも膨大な量になります。上で述べたように、死刑反対、死刑賛成のそれぞれの国での事情なども調べて記述して行くと、中心になる「概説記事」があり、そこから分岐する「詳細記事」というものに分かれます。どう考えても、死刑制度をめぐる記事は、単一の記事にはなりえません。日本における「存廃問題」の記事だけでも、詳細な記述を行って行くと、おそらく単一記事には収まらないでしょう。紙の百科事典は、ページに制限があるので、一つの記事の大きさにおのずと制限がかかってきますが、ウィキペディアはそうでない訳で、分かりやすい要約概説の記事があれば、それ以上は不要ということはない訳です。
- 紙の百科事典では、項目が分かれると参照が難しいですが、電子百科事典のウィキペディアでは、内部リンクで、簡単に別の記事へと移動できます。従って、「一つの記事に集約せねばならない」という必然性がありません。複数の記事を造る方がより合理的である、また主題が違っているなら、複数の記事を造り、相互にリンクで参照させればよいだけで、何故、複数の記事を造ってはならないのか、現在のケースでは、合理的な理由がありません。「南京虐殺」というような歴史的事件について、「大虐殺ヴァージョン」「中虐殺ヴァージョン」「虐殺はなかったヴァージョン」などが並列するのは、明らかにナンセンスですが、「死刑廃止運動」と日本または制度のある国での「死刑存廃問題」という記事を別個に立てるのは、どこもおかしい所はありません。「フェミニズム運動」の記事と「男女共同社会」の記事が別個にあっても何もおかしくないのと同様です。「死刑廃止運動」の記事で、死刑制度賛成、死刑制度復活を主張する人たちも存在し、これこれの主張であると記述する必要はありますが、「死刑廃止運動」の記事のなかでは、死刑廃止の運動を記すのが主で、死刑賛成の運動は「この記事」という風にリンクで指定すればよいことです。なお、集約的に、死刑の是非に関する議論のありようを説明する記事も必要でしょう。このような概説記事では、記事内部で、両論併記が必要になるでしょう。
- ウィキペディアの特質や原則を前提にした、もう少し合理的で有意味なコメントを述べてください。--Maris stella 2006年12月10日 (日) 06:43 (UTC)
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- では死刑廃止運動(又は死刑廃止思想)に分割ないし移動した上で両論併記部分は死刑存廃問題(あるいは死刑制度問題)に残す(分割する)ということでいいでしょうね。私の投稿履歴を確認していただければすぐ分かりますが、私がやったことは死刑の是非という曖昧な(少なくとも私の感覚では)項目名を当時の版の記事内容や初版の差分([1])をチェックした上で死刑存廃問題に移動させただけの話ですよ。なお、私の感覚では死刑の廃止という名称も項目名としてはかなり曖昧で、定義もきちんとかかれていなかったようにも思いますので[2]、一部の方達の個人的な思い入れを考慮するのでなければ、わざわざそのようなところに原状回復させるまでもないと思います。--Plisoner 2006年12月10日 (日) 07:16 (UTC)
- Maris stellaさん、私は記事分割一般に反対してるのではありません。しかし提督さんが提出された死刑存廃問題に対する「死刑の廃止」を主とした内容のページという設定はひどく曖昧で、どうして分割しなくてはならないのかわかりません。細分すれば理解しやすいという提督さんの説明も、肝心な理由の説明となると漠然としてよくわかりません。むしろ死刑制度に賛成か反対かの議論は、賛否双方の意見一対で1つのテーマを形成していると見る事が可能で、「死刑の廃止」という小テーマは、「死刑存廃問題」のページを構成する密接不可分の一部だと思えますが。そもそも提督さんの記事分割の出発点は、自分の意に沿う記述を邪魔されずに進めたいだけの動機で、主題云々というような高尚な話ではないように思えます。
- 同一ページ内で、死刑制度に関する各種の意見を、章や節に分け紹介し、最後に問題全体を俯瞰した記述をする事は、同一ページ内では容易でしょうが、各意見毎に、独立したページに分割させては、それは難しいように思いますね。内部リンクが出来るから、記事を細分化しても、読者がテーマの全体像を理解するうえでは全く支障がないというのは、少々楽観的するぎると思いますね。--Kogane 2006年12月10日 (日) 09:47 (UTC)
- 上記Plisoner氏およびKogane氏の主張は何度読み直してもさっぱり分からないのですが(Maris stella氏の意見には説得力を認めます)、私の意見を述べさせていただきます。かみ合ってなければすいません───。今の記事タイトルである「死刑存廃問題」の下では「徴兵制の時代と軍法・死刑」を書き進めることができなかった、という具体的な理由では不十分でしょうか? 逆に、「死刑の廃止」というタイトルの下では、「死刑廃止の流れは世界的な潮流か否か」、「死生観や哲学的立場、思想的背景などの深刻な対立」、「諸外国の刑事制度との調整」、「刑法思想の対立と死刑」も書き進めることはできないですし、他の編集者も投稿に加わることはできないでしょう。どのみちすぐに変な方向で改変されるのが予め分かっているのなら稼働がムダになるので何も書きたくないです。ちなみに、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦の反省による「死刑の廃止」という流れがあったのは事実です。はっきり申しますが、これは、主題云々というような高尚な話です。--提督 2006年12月10日 (日) 16:43 (UTC)
[編集] 手打ち
12月3日の私の記事分割未遂は、手続きにおいて重大な誤りがありました。また、Plisoner氏による修正はWikiのルール的には全面的に正しかったことを認めます。私の不注意を改めてお詫びします。
ただ、記事分割の必要性そのものについては、「Wikipedia:記事の分割と統合」を改めて引き合いに出すまでもなく、おそらく不可避です。今、ここで問題を先送りにしてもすぐに同じ問題に直面すると予想します。
年末・年始を控え、別に熱くなるような必要もない問題(記事分割)を年明けまで持ち越したくないですので、この辺りの妥協点でこれ以上意地をはるより手打ちにしたいのですが、いかがでしょうか? 当方、自分の主張は鉄板であると認識しています。
--提督 2006年12月10日 (日) 16:43 (UTC)
提督さん、あなたは他人のコメントを何度も読んでなどいない。だから自分の問題点が理解できないんです。
「徴兵制の時代と軍法・死刑」では、あなたはちっとも書き進めていないじゃないですか。あなたの投稿は、[キーワード]だとか「・1群」、「・2群」などの、それだけでは意味をなさない、見出しやメモ書きだけの羅列だった。あげくに彩華1226さんによって、2006年12月5日 (火) 10:13 に「下書きは自分のノートでしてください」との編集内容の要約を付されて削除されたんですよ。私に言わせれば、あれは下書きにもなっていない。ただのメモだ。
今回の問題の要点は、「死刑廃止の流れは世界的な潮流か否か」ではないし、「死生観や哲学的立場、思想的背景などの深刻な対立」でもない。稚拙で不完全な書き込みや、独善的な対応に終始する、提督さん個人に由来する点です。本気でまともな文章を投稿したいのなら、メモや下書きではなく、人に消されないだけのものを一度でも完成させたらどうですか。何度もトライしてみたらいいではないか。
そんな努力も払わずに、自分の書いた不完全な書き込みが批判、修正されると「変な方向」だなどと言い出すなど、不誠実にもほどがある。あなたは、自分の書いたものや考えに酔っているだけで、他人の調べ者の役に立つかどうか、他人が理解できるかという基本的なことを忘れている。最近の実例を挙げれば、上のあなたのコメントの最後、「自分の主張は鉄板である」、あなた、これで第三者に意味が通じると思ってるんですか?。--Kogane 2006年12月10日 (日) 23:21 (UTC)
手打ち(和解)の提案すら全く無視し、どうしてそこまで記事分割に強力に反対するのか、本当に理解に苦しみます───。
「トライ」するも何も、今の記事タイトルの下では書けない、と先刻ここで書いたとおりです。私は職業柄コンピュータ・プログラム(コード)も書くので、物事が系統立ててきちんと整理されていないと気が済まないのです。特に複数の人数でコードを書く場合、最初に系統立ててしっかり設計しないと大変なことになります。それに経験上、美しくない(読みにくい)コードは概してパフォーマンス的にも問題が多いです。
あと、最初はメモでもいいじゃないですか。“調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。”と書いてある通りです。章立てして、キーワードを拾い、文章を展開する。これは、文系・理系問わず、学校(大学)でも初年度に習いますね。まぁ、そういうことはノートでやれ、と言われれば確かにそれまでなのですが、何度も何度も申しましたとおり、あえて書きかけを本文に掲載したのは、書き手募集という意味合いも含ませただけです。紙媒体のように回収に膨大な費用がかかるという訳でもありませんし、削除するのもクリック1つなので、そんなに目くじらを立てることもないかと思います。Wikiでの記事編集ですが、別に「森を切り開く者」と「道を舗装する者」とが一緒でなければならない道理もないと思います。誰もここでお金を貰って作業している訳でもないですから、書ける時に書ける人が書けばいいのです。
とりあえず、主題を逸らさず、肝心の「Wikipedia:記事の分割と統合」を読まれた上であなたの率直な意見をお聞かせください。あと、「自分の主張は鉄板」という明らかな挑発には乗らない方がいいですよ。予想通りあなたの心に余裕が無いのは分かりました。--提督 2006年12月11日 (月) 14:00 (UTC)
記事分割の件、とりあえず手打ちにしませんか? 何かここのチェックが日課になっているような状態は悲しいです。--提督 2006年12月11日 (月) 15:03 (UTC)
ちなみに「鉄板」と言っているのは、記事分割に関してだけです。くれぐれも誤解なきように。--提督 2006年12月11日 (月) 15:39 (UTC)
- しかし提督さんは、「物事が系統立ててきちんと整理されていないと気が済まない」性格ならば、どうして物事を系統立ててきちんと整理した上で説明できないんでしょうか。「私の主張は鉄板です」と言う謎のフレーズも謎のまま。補足説明とやらは・・・、またしても説明になってないし。
- あえて書きかけを本文に提示し、執筆者を募集した?提督さんが勝手に決めた、他人にとっては意味不明の、暗号のような見出しが並ぶメモを手がかりに、誰がいったい何を書き込んでくれるというのでしょう。そもそも他の人は、提督さんに章立てを決めてもらってまで投稿などしたくないでしょう。あなたの学校でも、文章を書くとき、本文を人任せにせよなんて教えてなかったと思うんですがね。提督さんは、コンピュータ・プログラム(コード)は書けても、論理的な文章は書けないようです。結局、記事分割の必要性とやらも、ひとりよがりの説明だけで説得力は皆無。Koganeさんの指摘された問題点に対しても話をはぐらかすだけで、何を言っているのかよくわからないし。確かに提督さんの問題は、純粋に国語力や文章能力にある事は間違いなさそうです。--水田 2006年12月12日 (火) 08:19 (UTC)
[編集] ユーザー「提督」の書きかけ記事掲載問題について(presented by 提督)
章立てしましたので、本文の書き込みをお願いします。 --提督 2006年12月12日 (火) 14:57 (UTC)
提督さん、いいかげんにしなさい。あなたのメモ書きを、人に読んでもらえるほどの記事に直してくれるゴーストライターを募りたいのなら、自分のページのノートに募集コーナーを設置なさい。ここはそういうことをする場ではありません。それに、あなたね、何であなたの勝手な章立て(実際はただのメモの羅列)に従って、他人が記事の執筆を進めなければならないのかと問われているんですよ。わけのわからん事を書きなぐる暇があったら、まともな記事をさっさと書いてみたらどうですか。それも出来ずに記事分割だけしろなんて、むしがよすぎる。--Kogane 2006年12月13日 (水) 01:03 (UTC)
- こら提督、他人の名前を勝手に使って、わけの分からん項目を立て、わけの分からんことを書くな。ここは提督さん個人のページではないだろう。落書きがしたいなら自分のページか日記帳にでも書け。本当にまともな記事が書きたいなら、遊んでないでさっさと書け。--水田 2006年12月13日 (水) 01:15 (UTC)
- (追記)提督氏が置いたバカげた項目を、私が設置されたと誤解されると心外なので削除し、提督氏が同時に投稿したコメントの上に「」を付して残しておく。--水田 2006年12月13日 (水) 01:21 (UTC)
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- ところで、提督氏の謎の言葉、「自分の主張は鉄板」について、回答をたのしみにしてるんだが・・・。書いた本人も意味がわかんないようだ。ましてや死刑問題というような難しいテーマで、誰にも理解できるような記事など、とても書けないのだろう。記事分割を論議する以前の問題だ。--Kogane 2006年12月13日 (水) 04:59 (UTC)
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>水田
とりあえず、「記事分割」の話と「書きかけ掲載の非難」とでは話が別ですので、章立てを復帰しました。記事分割の件につき手打ちの打診をしているところに、書きかけ掲載問題を持ち込むのは文脈的に非常に問題があります。ちなみにここは、確かに提督の個人ページではないですが、どうやらコメント依頼のページにおいて、私もこの件(書きかけ記事掲載)でやり玉に上がっていますので…。その点はお間違いなく。--提督 2006年12月13日 (水) 14:22 (UTC)
>Kogane
私は、「Wikipedia:記事の分割と統合」を読まれた上であなたの率直な意見をお待ちしているのですが…。あと、「書きかけ」掲載については、少なくとも悪意があってやったことではないことは認めて欲しいですね。今後は気をつけます。小人さんがいたっていいじゃないですか。
とりあえず、「記事分割」の話と「書きかけ掲載問題」の話は全く関係ないです。一緒くたに議論しないでください。お願いします。「坊主憎ければ袈裟まで憎し」というのも分からなくないですが、ある意味あなたの現在行っていることは「リンケージ」というレトリックの一種だと思いますよ。
記事分割自体については、「Wikipedia:記事の分割と統合」を読む限り、鉄板です。--提督 2006年12月13日 (水) 14:22 (UTC)
[編集] 提督氏が求める記事分割の主張の妥当性について
「記事分割」の話と「提督さんの記事執筆の実績」は密接不可分の関係にある。 なぜなら、提督氏が記事分割の背景・理由として、「死刑存廃問題」のページで、死刑の廃止について書くことが難しくなったきた事をあげている。したがって、これまでに提督氏が、実際にまともな記事の執筆を、それほど活発に行なってきたのかどうか、検証するのは当然だ。そして実は、メモ程度の「記事破壊」などと揶揄されるような執筆ぐらいしかない事が明白。記事分割の前提が虚偽なのだから、もちろん分割の必要も無いということが、ここでの議論を通じて明らかになった。提督さんはいいかげん話をごまかしたり、論点をずらすのをやめなさい。--Kogane 2006年12月14日 (木) 02:31 (UTC)
>Kogane
そもそも論として、あなたは「Maris stella」氏のコメントにも「Wikipedia:記事の分割と統合」からの観点からも、そして、私の提出した「記事分割の実施要項(案)」自体にも、何ら正面からのコメントができていないではないですか。それだけでなく、私個人の問題である「プレビュー機能使用の不徹底」など、違う話をここに持ち込んで積極的に論点ずらしを行っているのはあなたです。とりあえず、私個人の問題(プレビュー機能使用不徹底)と、Wiki全体の問題(記事分割)とを一緒くたに議論しないでください。
最後は私個人の当事者能力を問題にしてくるだろう、と十分予想されていたので、「記事分割の実施要項(案)」において「記事分割の実施者」という項目をわざわざ設けさせていただいております次第です。現実にこういった配慮が必要になってしまう事態も悲しいですが。--提督 2006年12月16日 (土) 12:32 (UTC)