クートヴェ
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クートヴェ(КУТВ、東方勤労者共産大学)は、ソビエト連邦共産主義建設のための学校。アジア・極東地域向けの学校として1921年モスクワに設立。 1928年からスターリンが最高名誉学長を勤めた。
中国人約400人、朝鮮人約200人、日本人数十人が留学、日本側では野坂参三夫妻、国崎定洞(後に粛清)など日本共産党の首脳幹部がいた。 また、後に日本共産党の幹部会副委員長になり、「スパイ査問事件」にも関与した疑いのある袴田里見が1925年から1928年まで留学した。 また袴田の弟、袴田陸奥男は1939年(昭和14年)にソ連に亡命、ソ連国籍を取得し、第二次世界大戦後、シベリアにヨシフ・スターリンによって強制抑留された日本人をイワン・コワレンコらKGB少佐と一緖になって虐げた人物で、老後は1991年に死去するまでソ連共産党員でも別格の「特別年金受給者」であった(後に袴田里見と野坂参三は、「外国のスパイ」ということで、日本共産党を除名処分になった)。
後にこのクートヴェは、その名をパトリス・ルムンバ名称民族友好大学と改名し、国際的テロリスト イリイチ・ラミレス・サンチェス(カルロス・ザ・ジャッカル)の留学先としても有名である。
[編集] 参考文献
- カール・K・カワカミ『シナ大陸の真相 1931~1938』(展転社、2001年)
- アンドレイ・イーレシュ『KGB極秘文書は語る』(文藝春秋社、1993年)
- イワン・コワレンコ『対日工作の記録』(文藝春秋社、1991年)
- 浅原正基『苦悩のなかをゆく―私のシベリア抑留記断章』(朝日新聞社、1991年)