エルンスト1世 (ザクセン=アルテンブルク公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルンスト1世(Ernst I., 1826年9月16日 - 1908年2月7日)は、ザクセン=アルテンブルク公国の公(在位:1853年 - 1908年)。全名はエルンスト・フリードリヒ・パウル・ゲオルク・ニコラウス(Ernst Friedrich Paul Georg Nikolaus)。ザクセン=アルテンブルク公ゲオルクの長男。
エルンスト1世は1826年9月16日、ゲオルクとその妃であったメクレンブルク=シュヴェリーン大公パウル・フリードリヒの妹マリア(1803年 - 1862年)の間に第一子としてヒルトブルクハウゼン(テューリンゲン州ヒルトブルクハウゼン郡)で生まれた。彼は1853年4月28日にアンハルト公レオポルト4世の娘アグネス(1824年 - 1897年)とデッサウで結婚し、同年8月3日に父が死去したため公位に即いた。
エルンスト1世は1862年にプロイセン王国との間に軍事同盟を結び、1867年には北ドイツ連邦に加盟した。1870年に勃発した普仏戦争ではプロイセン側について参戦し、翌年ドイツ帝国が成立すると皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓っている。
1908年2月7日、エルンスト1世はアルテンブルク(テューリンゲン州アルテンブルガー・ラント郡)にて死去し、甥のエルンスト2世が公位を嗣いだ。
[編集] 子女
妻のアグネスとの間には、以下の一男一女をもうけた。