ウダイ・サッダーム・フセイン
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ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(عدي صدام حسين、Uday Saddam Hussein、1964年6月18日 - 2003年7月22日)は、イラク元大統領サッダーム・フセインとその最初の妻サージダ・ハイラッラーの長男。クサイの兄。以前は、サッダームの後継者と目されていた。
彼の性格は残虐を極めており、何人もの人間を自らの手で処刑し、彼が過去に指揮していたイラクのスポーツ協会では日常的に拷問が行われていたという。1993年に行われたFIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア地区最終予選の日本対イラク戦(ドーハの悲劇)でも、もしイラク代表が日本代表に敗北していた場合、メンバーに対し全員鞭打ちの刑に処せられることになっていた、と当時のイラク代表のメンバーが語っていた。
サッダーム・フセインの後継者から外れた理由としては、サッダーム・フセインの秘書に対して怒り狂い、彼を自らの手で殺害したからとされている。
- 1996年イラク国内でウダイ・サッダーム・フセインの暗殺未遂事件が発生。彼自身負傷し足が不自由となった。
- 2003年7月22日モスルにおいて、イラクを占領するアメリカ軍との銃撃戦でクサイらとともに死亡したと見られている。
- 2003年7月24日、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の決定により、アメリカ軍は死んだウダイ・クサイ兄弟の写真を報道に公表した。
http://www.wikipedia.org/upload/3/31/Uday_dead.jpg ウダイの遺体画像:警告 この遺体の画像はきわめて凄惨なため直接表示せずにリンクにしています。そのことを了解の上、ご覧ください。
アメリカ軍司令部は、イラクでウダイ、クサイ兄弟がまだ生きているという噂を打ち消すために兄弟の遺体の写真を公開した。この公開について、「紛争中に殺害されたアメリカ兵捕虜の写真を公開したサッダーム・フセインをブッシュ政権が非難したこと」を考えると、アメリカは二重基準であると一部から批判があがった。アメリカ軍はこの批判に、ウダイ、クサイは戦闘員ではなく国際法上問題ないと答え、イラク国民にとって転換点になると述べた。
これにより、イラク国内で彼らの死に対し大変喜び、市民が驚喜し銃を発砲した。だがこの流れ弾により多数の死者が出た。