ウイグル文字
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ウイグル文字は、9世紀前後から中央アジアで主に用いられたウイグル語の表記に使用された文字。
現代ウイグル語はアラビア文字を改良した文字体系を使用しており、これを「ウイグル文字」と呼ぶ場合があるが、ここでは古代ウイグル語の表記に用いられたソグド系の文字を扱う。
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[編集] 概要
アラム系の文字であったソグド文字を改良して作成されたもので、ソグド文字の草書体から派生したとみられている。フェニキア文字に遡るアルファベットのグループにおいて、現行のヘブライ文字やアラビア文字などと同様にアラム文字の系統に属する文字である。
アラム文字やその系統に属すソグド文字の文章は、ギリシア文字やラテン文字の文章とは異なり、文字を右から左へ書かれる。このため、ウイグル文字で文章が縦書きされた場合、一般的に中世ウイグル語の文章などは、アラム文字系の文章が左へ90°倒立するかたちになるため、行は漢文などとは逆に左から右へ書かれることになる。
一般的に、「当初はソグド文字と同様に右横書きであったが、後に90度回転して左縦書きとなった」と説明されるが、これはやや不十分な説明である。ソグド文字は4世紀の段階で横書き、縦書きの両方されていた事例があり、ウイグル文字もまた現存するトルファンなどの9世紀から12世紀頃の壁画や文書資料などはソグド文字と同様に、初期には縦書き、横書き両方されていた。
しかし、仏典などで漢文との併記や混用などの影響の結果、徐々に縦書きが中心になったようである。ウイグル文字による正書法が確立されたのは誕生と同じく天山ウイグル王国時代においてであり、のちのモンゴル文字も引継がれた。
[編集] 歴史
[編集] その他
ウイグル文字の系統はその後のモンゴル文字に繋がる。
モンゴル帝国および大元ウルスでモンゴル語の筆写に使用されていた「モンゴル文字」は、当時漢語では「畏兀兒文字」、ペルシア語でも khaṭṭ-i Uyghrī (ウイグルの文字)と称されており、飽くまでも「ウイグル文字」であって「モンゴル文字」とは呼ばれていなかった。
契丹文字は、契丹人がウイグル人の使者からウイグル文字を学び、それを参考にして作ったとされる。