イラクの国旗
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イラクの国旗は、1921年の建国以来、5つの異なる版が導入された。 最新版は、2004年4月から始まったもので、前の国旗に代わるものとして提案された。前の国旗は、サッダーム・フセイン前大統領によって手を加えられたものである。すなわち、現在記述している時点では、その新国旗が公式なものであるかは明らかでない。
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[編集] 2004年に提案された新国旗
2004年4月26日に、イラク暫定統治評議会は、サッダーム政権後イラクの新国旗を発表した。暫定政府が主張するには、この新国旗は、著名なイラクの建築家兼芸術家であるリファット・チャディリによってデザイン(作画)されたものであり、これが、他の30の競合する出品から選ばれたものであるという。
その旗は、白い背景で、底の4分の1には、青色・黄色・青色と平行な帯が横に並んでいる。すなわち、3本の線については、青の帯はチグリス川とユーフラテス川を表しており、黄色の帯については、何を象徴としているものかは不明確だが、クルド人の旗が「緑・白・赤の横三色旗に黄色い星」であることから、イラクのクルド人少数派を表している、といわれる。中間部にある白い領域には、イスラム教を象徴する大きな三日月がある。しかし、これは通常、青色の影として描かれるものである。
このデザインは、他のアラブ諸国の国旗で使用されている色「緑・黒・白・赤」の伝統を著しく壊すものである。アラブ諸国の国旗色には長い伝統があり、緑色と黒色は、イスラム教を表すのに使用される。中でも緑色は、預言者ムハンマドお気に入りの色だとずっと言われてきている。赤色は、アラブ人の愛国心を表すのに使われる。また黒色は暗黒の過去、白色は純潔や平和を表すことが多い。
イスラム教の三日月は、アラブの紋章の中で、通常、緑色または赤色で描かれている。白地にかなりの部分が青色で支配されている、この旗の様相が、即時にイラク国内で論争になり、イスラエルの旗と比較された(実際、イスラエルの旗の原案に、かなりの割合で黄色が含まれていた)。その他に批評家は、汎アラブ主義をあらわす伝統色が欠落していることを嘆いた。そして「神は偉大なり」という句が欠落していることについても、これが誰によって追加されたかという事実とは無関係に、嘆いていた。
更に、作画者リファット・チャディリについても疑問が提起された。彼が、暫定統治評議会メンバーであるナシール・アル=チャディリの弟であることは明らかである。結果として、身内びいきという訴えによって、デザイン競技会で得た彼の勝利は汚れたものとなってしまった。兄のリファットは彼を弁護する中、次のように述べた。「弟は、私から電話をうけて、旗をデザインするようにと招待されるまでは、新しい旗の計画については何も知らなかった」と。また「そのデザインが競技会に関係している、というようなことは、聞かされていなかった」とも述べた。更に「彼は、1980年代初めから、イギリスのロンドンに住んでいるので、現在のイラクの国民感情を捉えることに失敗したからといって、このことを批判するのは、まだ早い」とも付け加えた。
新しい旗が、2004年4月27日に、ファルージャで、反政府運動家によって燃やされたという報告があった。その日は、国旗としての公式採用が予定されていた前日であった。
2004年4月28日、メスド・バルザニー統治評議会議長は「旗の修正版では、4月26日に報道で発表された、元の、非常に明るい青い影が、暗い色調に変更された」との公式見解を示した。しかし、その変更がなされた理由が、元のデザインに対して抗議されたことによるのか、または、評議会に要求されたことによるのか、それとも、初期のニュース報道における印刷誤差が修正されたことによるのかは、明らかにされなかった。彼はまた、この旗は、最終的な旗が採用されるまでの一時的なデザインであり、数か月間使用されるということも説明した。
[編集] イラク国旗の歴史
[編集] 1921年-1959年
王制時代の国旗。
[編集] 1959年-1963年
1958年にカセム将軍により王制が打倒され、共和制に移行した後の1959年に制定された。
[編集] 1963年-1991年
カセム政権が倒された後、1963年7月に採用された。
[編集] 1991年-2004年
湾岸戦争直前の1991年1月14日、サッダーム・フセイン大統領は、国旗に「アラーホ・アクバル(神は偉大なり)」というアラビア文字を入れた。2003年にイラク戦争によりフセイン政権が崩壊した後は、文字なしの以前の国旗が復活した。
[編集] 2004年
2004年4月26日、イラク統治評議会は新国旗を採択した。イスラエルの国旗に似ていると批判が相次ぎ、4月28日に青色をより濃い色に修正したものを発表した。その後、前の国旗を基に「神は偉大なり」の書体をクーフィー体に変更したものが提案された。