アンナ・スマシュノワ
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アンナ・スマシュノワ(Anna Smashnova, 1976年7月16日 - )は、イスラエルの女子プロテニス選手。クレーコート(赤土)を最も得意とするベースライン・プレーヤーである。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。シングルス自己最高ランキングは15位。これまでにWTAツアーでシングルス11勝を挙げ、2005年度も2つのトーナメントで優勝した。ロシア語名は Анна Смашнова という。2002年12月7日にイタリアの元プロテニス選手、クラウディオ・ピストレッシ(Claudio Pistolesi)と結婚したことから、「アンナ・スマシュノワ・ピストレッシ」(Anna Smashnova-Pistolesi)と名乗ることもある。
スマシュノワの出身地は旧ソ連(現在のベラルーシ)・ミンスクだが、14歳を迎えた1990年9月からイスラエルに定住するようになった。1991年1月にプロ入り。1994年から4大大会に挑戦を始める。同年の全仏オープンで、第5シードのヤナ・ノボトナを1回戦で破り、初めて世界ランキングトップ10位以内の選手に勝った。(この大会では有力選手の初戦敗退が多く、第4シードのマルチナ・ナブラチロワ、第6シードの伊達公子、第8シードのガブリエラ・サバティーニも1回戦で敗退した。)1994年の全米オープンと1995年の全豪オープンで、2大会連続で3回戦に進出した後、1995年の全仏オープンで4回戦進出を果たした。それから3年後、全仏オープンでは1998年にも4回戦進出がある。4大大会ではこれが自己最高成績で、ベスト8以上の上位進出はない。
女子テニスツアーの下部組織の大会で6勝した後、1999年にWTAツアー大会で初優勝を達成。それ以来、ツアーでシングルス通算11勝を挙げている。2005年度はイタリア・モデナの大会と、ハンガリー・ブダペストの大会で2勝した。一見地味な存在だが、決して侮れない名選手だと言えよう。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- アンナ・スマシュノワの略歴 (英語、女子ツアーの公式サイトより詳しい)