アンドレス・ガララーガ
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アンドレス・ガララーガ(Andres Jose Galarraga:アンドレス・ホゼ・ガララーガ 1961年6月18日 - )は、アメリカ合衆国のメジャーリーグベースボール(MLB)の一塁手。2004年のシーズンを最後に既に現役は引退している。現役時代は巨体(2004年公表体格:身長190cm、体重117kg)に似合わない軽快な身のこなしから、ビッグ・キャット(Big Cat)という愛称で親しまれた。ベネズエラ・ボリバル共和国出身。右投右打。
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[編集] 略歴
1月にドラフト外でモントリオール・エクスポズと契約。しかし、メジャー昇格への道は思いのほか厳しいもので、初昇格の1985年まで実に7年もの年月がかかった。
- 1985年 待望のメジャーデビュー
8月23日に待望のメジャーデビューを果たす。VSロサンゼルス・ドジャース戦でデビューを果たしたが、その試合では1打数でノーヒットに終わっている。しかし、その年は24試合に出場し、打率は.187と低迷するも、2本塁打を記録している。
本格的とまでは言わなくとも、1986年からレギュラーに定着。レギュラー1年目となった1986年は105試合の出場で、10本塁打、42打点を記録。翌1987年は打点を90の大台に乗せ(90)、打率も.300をマークした(.305)。1988年はパワー面で頭角を現し、デビュー3年間の通算本塁打25本を上回る、シーズン29本塁打を記録。打撃面での活躍が評価されて、この年にシルバースラッガー賞を受賞。パワーヒッターとしての道を歩みだした。しかし、1989年~1990年の2年間は打撃面では低迷。特に打率の低下が著しかった。しかし、守備面での活躍を評価され、2年連続でゴールドグラブ賞に選出されている。しかし、翌1991年は本塁打が2ケタに届かず、打率も.220を下回るひどさ。ルーキーイヤーを除いたデビュー以来、自己最低の数字に終わってしまう。更に1991年の11月25日にケン・ヒルと交換で、セントルイス・カージナルスへとトレードされた。
- 1992年 セントルイス・カージナルスでの1年
トレードで環境が変わり、心機一転での活躍が期待されたが、結果は散々なものに。ただ、前年よりも少ない出場試合数で前年より多い本塁打と打点を記録するなど、わずかながら調子が上向きである事は認識された。シーズン終了後、10月27日にフリーエージェント権(以下FA)を取得。同年の11月16日にFAでコロラド・ロッキーズと契約した。
カーディナルスでは苦しんだが、ロッキーズへ移籍してガララーガの打撃は変貌を遂げる事になる。移籍1年目の1993年はわずか120試合の出場で、本塁打22、打点98を記録。更に.370という高打率を記録し、首位打者のタイトルを獲得した。翌1994年はストライキのあった年。しかし、ガララーガはそうしたゴタゴタを嘲笑うかのように打率.319、31本塁打、85打点という素晴らしい成績を残した。翌1995年には自身初の100打点を突破(106)。ハイライトは翌1996年。自己最高の159試合に出場したガララーガは、47本塁打、150打点という凄まじいばかりの成績で自身初の本塁打王と打点王を獲得。更に、シルバースラッガー賞にも選出された。1997年は若干数字が落ちたものの、2年連続で打点王のタイトルを獲得している。そして、10月27日にFA権を取得し、11月20日にアトランタ・ブレーブスへ入団した。
打者有利のロッキーズから、ブレーブスへ移籍してもガララーガの打棒は衰えるところを知らなかった。しかし、1999年に、悲劇が訪れる。非ホジキンリンパ腫という癌の告知を受ける。その為、シーズンを棒に振って癌の治療に専念。癌細胞が消え去った為、翌2000年には復帰し、素晴らしい打撃成績を記録した。オフの10月30日には自身3度目のFA権を取得。12月8日にテキサス・レンジャーズへと入団した。
レンジャーズでは低打率だったものの、まずまずの打撃成績を記録。シーズン途中にチーフ・マグルダー、エラスモ・ラミレス、トッド・オジアスの3選手と交換に、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。49試合で7本塁打を記録する活躍を見せた。2001年11月7日にはFA権を取得。2002年3月7日に古巣のモントリオール・エクスポズと契約を結んだ。この時はレギュラーポジションを確保するには至らなかったものの、104試合に出場して、まずまずの成績を残している。2002年10月28日には5度目のFA権を取得。再び、サンフランシスコ・ジャイアンツに入団した。2003年は打撃好調で2000年以来となる打率.300を記録。10月23日にはFA権を取得したが、11月に癌が再発し、入院する事になってしまった。しかし、ガララーガは再入院となった時、この事を外部へは一切知らせなかった。そして、2004年8月6日。見事に復活したガララーガはアナハイム・エンゼルスと契約を結んだ。そして、7試合に出場して本塁打1を記録。通算本塁打を399本とした。2004年の11月1日にFA権を取得したガララーガは、通算400号本塁打を目指し、同年の11月23日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。しかし、その年はメジャーの舞台に立つ事は無く、翌2005年に400号本塁打を目前に涙の引退となった。
[編集] プレイスタイル
打撃面ではパワーがウリ。全盛期には40本以上のホームランを放っている事からも分かる様に、パワーはかなりのレベル。一方で.300を超える打率も残せるバッティング技術も併せ持っている。ただし、三振はかなり多く、(通算2003)一方で四球は少ない。
足は特別早くないが、ロッキーズでのピーク頃とデビューして始めの方の数年間は2ケタ盗塁を記録している。
凄まじい打撃成績に目を奪われがちだが、守備面での評価も高い。1989年と1990年にゴールドグラブ賞を2度獲得していることからも分かる様にデビュー当初は打撃よりも守備で注目を浴びていた。ビッグキャットの異名はそこからきている。
[編集] 獲得タイトル・記録
- 首位打者1回(1993年)
- 本塁打王1回(1996年)
- 打点王2回(1996年、1997年)
- 最多安打1回(1988年)
- 最多得点1回(1988年)
- リーグ最多三振4回(1988年~1990年、1995年)
- ゴールドグラブ賞2回(1989年、1990年)
- シルバースラッガー賞2回(1988年、1996年)
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
1985 | MON | 24 | 75 | 9 | 14 | 1 | 0 | 2 | 4 | 1 | 3 | 18 | .187 | .228 | .280 |
1986 | MON | 105 | 321 | 39 | 87 | 13 | 0 | 10 | 42 | 6 | 30 | 79 | .271 | .338 | .405 |
1987 | MON | 147 | 551 | 72 | 168 | 40 | 3 | 13 | 90 | 7 | 41 | 127 | .305 | .361 | .459 |
1988 | MON | 157 | 609 | 99 | 184 | 42 | 8 | 29 | 92 | 13 | 39 | 153 | .302 | .352 | .540 |
1989 | MON | 152 | 572 | 76 | 147 | 30 | 1 | 23 | 85 | 12 | 48 | 158 | .257 | .327 | .434 |
1990 | MON | 155 | 579 | 65 | 148 | 29 | 0 | 20 | 87 | 10 | 40 | 169 | .256 | .306 | .409 |
1991 | MON | 107 | 375 | 34 | 82 | 13 | 2 | 9 | 33 | 5 | 23 | 86 | .219 | .268 | .336 |
1992 | STL | 95 | 325 | 38 | 79 | 14 | 2 | 10 | 39 | 5 | 11 | 69 | .243 | .282 | .391 |
1993 | COL | 120 | 470 | 71 | 174 | 35 | 4 | 22 | 98 | 2 | 24 | 73 | .370 | .403 | .602 |
1994 | COL | 103 | 417 | 77 | 133 | 21 | 0 | 31 | 85 | 8 | 19 | 93 | .319 | .356 | .592 |
1995 | COL | 143 | 554 | 89 | 155 | 29 | 3 | 31 | 106 | 12 | 32 | 146 | .280 | .331 | .511 |
1996 | COL | 159 | 626 | 119 | 190 | 39 | 3 | 47 | 150 | 18 | 40 | 157 | .304 | .357 | .601 |
1997 | COL | 154 | 600 | 120 | 191 | 31 | 3 | 41 | 140 | 15 | 54 | 141 | .318 | .389 | .585 |
1998 | ATL | 153 | 555 | 103 | 169 | 27 | 1 | 44 | 121 | 7 | 63 | 146 | .305 | .397 | .595 |
1999 | ATL | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 |
2000 | ATL | 141 | 494 | 67 | 149 | 25 | 1 | 28 | 100 | 3 | 36 | 126 | .302 | .369 | .526 |
2001 | ☆ | 121 | 399 | 50 | 102 | 28 | 1 | 17 | 69 | 1 | 31 | 117 | .256 | .326 | .459 |
2002 | MON | 104 | 292 | 30 | 76 | 12 | 0 | 9 | 40 | 2 | 30 | 81 | .260 | .344 | .394 |
2003 | SF | 110 | 272 | 36 | 82 | 15 | 0 | 12 | 42 | 1 | 19 | 61 | .301 | .352 | .489 |
2004 | ANA | 7 | 10 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | .300 | .364 | .600 |
Total | 7Teams | 2257 | 8096 | 1195 | 2333 | 444 | 32 | 399 | 1425 | 128 | 583 | 2003 | .288 | .347 | .499 |