アントワーヌ=アンリ・ジョミニ
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アントワーヌ=アンリ・ジョミニ(Antoine-Henri Jomini, 1779年3月6日 - 1869年3月24日)は、フランス、のちにロシアに仕えた軍人・軍事理論家。『戦争概論』などを著したことで知られる。
[編集] 生涯
スイス・ヴォー州に生まれた彼は、少年期の一時にフランス軍に籍を置いたのち、19歳でスイス軍に入隊し、22歳で野に下った。それ以前から軍事理論の研究をしており、1805年にナポレオン麾下の将軍ミシェル・ネイの幕僚として招かれると、ナポレオンを高級幕僚として補佐するほか、1806年にイエナ・アウエルシュタットの戦いで戦功を挙げた。1808年にはネイのスペイン遠征に従った。少将に進み、1811年にナポレオン1世の修史官、1812年ヴィルナとスモレンスクの総督と位階を上昇させた。しかし1813年にバウツェンの戦い後、ネイや将軍ベルティエと諍いを起こし幕僚団から遠ざけられたため、1814年にロシア軍に身を投じた。1815年にはかつての上官ネイを助命しようとするが果たせなかった。ロシアではアレクサンドル1世およびニコライ1世に重用され、1828年の露土戦争に参加し、1837年にアレクサンドル2世の軍事教官となった。軍の近代化に努める傍ら1838年に軍事理論の大著『戦争概論(兵法概説などとも)』を著した。晩年に体調を崩すと帰国を許され、故郷スイスに戻り同地で没した。
[編集] 関連リンク
- Site du Général Antoine-Henri de Jomini フランス語
- The Art of War グーテンベルク・プロジェクトによる全文
- [1] ブリタニカ百科事典1911年版によるテキスト
カテゴリ: ナポレオン戦争のフランスの軍人 | ロシア帝国の軍人 | 1779年生 | 1869年没