アレグザンダー2世 (スコットランド王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレグザンダー2世(Alexander II, 1189年8月24日 - 1249年7月8日)は、スコットランド王(在位、1214年 - 1249年)。ウィリアム1世とヘンリー1世の庶子コンスタンスの娘アーマンガードの長男。
1214年に父ウィリアム1世が77歳で亡くなったため、16歳で王位を嗣いだ。1219年、イングランド王ヘンリー3世の妹ジョアンを王妃に迎え、イングランドと友好関係を復活した。1236年にヨーク条約でイングランドとの国境線を確定した。
アレグザンダーは、外交上の懸案を取り除いてから、父が確立した行政機構を活用し、内政を充実させていった。1238年に王妃のジョアンが亡くなると、フランスの貴族の娘マリーと結婚した。ヘンリー3世は、これをイングランドへの敵対行為と見なし、アレグザンダーへ言いがかりを続けた。1249年に、ようやくニューカッスルで和解した。
同年、ノルウェーからのヘブリディーズ諸島の奪還を目指して、スコットランド西部へ軍を進めた。しかし、その途中ケアララ島で没した。
カテゴリ: スコットランドの君主 | 1189年生 | 1249年没