アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム
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アルプレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム(Albrecht Ritter Mertz von Quirnheim, 1905年3月25日 - 1944年7月21日)は、第二次大戦中のドイツ陸軍大佐。ドイツ語ではクヴィルンハイムとも読む。
1923年に士官候補生となる。1928年に少尉、1931年に中尉、1935年大尉、1940年に少佐、1942年に中佐。アフリカ軍団に1943年半ばまで従軍し、東部戦線へ転属して大佐に昇進する。
1944年クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐の後任としてフリードリヒ・オルプリヒト(Friedrich Olbricht)将軍の参謀長 (Chef des Stabes im Allgemeinen Heeresamt) となる。1944年7月15日にシュタウフェンベルクはオストプロイセンの総統大本営「ヴォルフスシャンツェ」でヒトラー暗殺にために作戦会議室へ向かうが当日の会議は既に終了してしまっていた。
5日後の7月20日に再度、計画を実行したシュタウフェンベルクから暗殺成功の連絡を受け、オルブリヒト将軍はクイルンハイムに「ワルキューレ作戦」発令のテレタイプ発信を命令する。これを受けてパリでは予定通りに親衛隊幹部が拘束された。
しかし、ヒトラー暗殺計画は失敗し、クイルンハイムはシュタウフェンベルク、オルプリヒト、ヴェルナー・フォン・ヘフテン少尉とともに国内予備軍司令官フロム将軍に逮捕され、7月21日の午前0時過ぎにベルリンの国内予備軍司令部の中庭(de)で銃殺された。
カテゴリ: ドイツ第三帝国の軍人 | 1905年生 | 1944年没