アルフレート・ヘットナー
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アルフレート・ヘットナー(Alfred Hettner, 1859年8月6日-1941年8月31日)は、ドイツの地理学者。近代以降、発達してきた地理学の独自性を確固たるものとし、さらに19世紀後半から20世紀にかけてのドイツの地理学界のリーダー的存在として影響力を持った、地理学に触れる上で重要な人物として知られる。
[編集] 生涯
ドイツ・ドレスデンに生まれる。シュトラスブルク大学(今のストラスブール大学)にて学ぶ。当地においては地理学のみならず、ヘットナーは哲学者・ハインリヒ・リッケルトらによって新カント派や新ヘーゲル主義などの哲学に親しみ、後の地理学研究にもこれらの影響を受けるものになった。1906年から1928年までハイデルベルク大学の正教授として地理学を講じる。また世界中に調査旅行を行い、中米やロシア、北アフリカ、東アジアなど各地に調査に行っている。なお1913年には日本を訪れ、長野県においてそれまで日本には存在しないと考えられていた氷河によってもたらされとされる石を見つけ、論争のきっかけを作った。(このきっかけの石はヘットナーに因みヘットナー石と呼ばれている。)この論争は、当時の日本の地理学において一大論争となった。
人文地理学・自然地理学の双方に通じ、地理学は地表面におこる現象地域分布を捉えるのではなく、その奥にある本質的な部分にまで考察の対象にすべきだと考えた。彼のこうした地理学に対する考えは、彼の著「地理学-歴史・本質・方法」(Die Geographie, ihre Geschichte, ihr Wesen und ihre Methoden)に述べられており、この著作は後の地理学方法論にも影響を与えた。
また、1920年から1931年まではドイツ植民地会社の代表にもなっている。またヘットナーはGeographische Zeitschrift(地理学雑誌)という学術雑誌も創刊しており、これは現在でもドイツにおいて重要な地理学の学術雑誌として知られている。
[編集] 著作
- 「地理学-歴史・本質・方法」(Die Geographie, ihre Geschichte, ihr Wesen und ihre Methoden.. 日本語訳もあり。 )