アグネス論争
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アグネス論争(アグネスろんそう)は、1987年に歌手・タレントのアグネス・チャンが第一子を出産した後、番組に復帰するために乳児を連れてテレビ局に出勤したことがマスコミに取り上げられ、「子連れ出勤」の是非について巻き起こった論争。日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなり、1988年の新語・流行語大賞では、「アグネス論争」が流行語部門・大衆賞を受賞するほどの社会論争に発展した。
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[編集] 経緯
このアグネス論争の背景には、男女雇用機会均等法の施行など、その当時女性の社会進出機運がマスコミで話題になっていたことがあげられる。このため、アグネス・チャンは国会にも参考人として呼ばれている。
アグネス論争が起きた当時、アグネスは12本のレギュラー、準レギュラー番組を抱えており、テレビ局から「早く復帰してくれ。子供を連れてきていいから」などと説得を受け、不安に思いつつ職場に復帰したというのが真相だという。一部のテレビや雑誌は、彼女の出身地である中国の風習であるアグネスの子連れ出勤を批判的にとりあげ、隠し撮りまで行われた。しかし、子連れ出勤について林真理子らから批判が起こると、マスコミから「働くお母さん」の代表格として持ち上げられたりもした。アグネスは林らの批判に対し外国人差別を言い立て、場当たり的な発言を繰り返し、論点をずらして逃げ回るかのように見えた面もあり、不誠実とののしる批判派もいた。親類にも子守を頼んでいたなど、アグネスの、一般的な「働くお母さん」からはかけ離れた生活ぶりさえも批判の対象となった。アグネス論争はフェミニスト同士の内輪もめの様相を呈し、男性週刊誌にもおもしろおかしく取り上げられた。しかし理想論に終始したため、肯定派が取り込むべき一般的な「働くお母さん」や、女性団体からは、無視された。
一連の日本の報道がアメリカの雑誌『TIME』に取り上げられ、アグネスはその記事を読んだスタンフォード大学のマイラ・ストロバー教授の招きにより師事し、女性と教育のかかわりについて学ぶことになった。これらを契機として、アグネスは自身の問題を社会的問題ととらえ、スタンフォード大学の博士課程にすすみ、日本とアメリカの高学歴者の男女間格差を比較・考察した卒業博士論文『この道は丘へと続く』(共同通信社、2003年9月3日刊。原著はMITプレス、1999年6月25日刊)の出版に至るが、「職場における男女間の格差や、仕事と子育ての両立に対する自分の意見を理論的に語ることができず、感情論でしか自分の状況を説明できなかった」と当時を回顧している(アグネス・チャン公式ホームページ「アグネス博士論文『この道は丘へと続く』発売イベント報告」より引用)。
また、これに少し類似した論争が1910年代を中心にさかんに展開されていた。それは、青鞜社のメンバーが中心となって繰り広げられた、いわゆる「母性保護論争」である。さしずめアグネス役は平塚らいてうで、アグネスを叩いた林真理子役は与謝野晶子ととらえて、その共通項をみることができる。もちろん当時とは時代の違い、社会・経済状況(晶子もらいてうも女中を雇える身分)の違いもあり、それにともない、論争の位相や具体的な論争の内容は違ってくるとはいえ、本質的に通底している問題であるといえる。これは斎藤美奈子の著書『モダンガール論』やフェミニズムの言説で、さかんにその相似性が指摘された。働く女性にとっては、子育てと仕事の両立は、それほどの進歩はなかった、ということもできる。
論争のきっかけとなった林真理子が、当初の「普通の女性がギョーカイの一端を恐る恐る垣間見ながら、素朴な本音を語る」というスタンスから、「功成り名を遂げ幸せな結婚と出産も果たし、セレブとなった自分の日常を自慢する」ようなスタンスに変化していったのが皮肉なところである。
斎藤美奈子は著書『文壇アイドル論』の中で、上野千鶴子と林真理子の違いを、「男性に受け入れられたか・られなかったか」という。
アグネス論争から16年後、大手の企業の中にはオフィス近くに保育所をつくるところも出てきている。
[編集] 論争とその内容
[編集] 引用
- 「私は、子供を妊娠して産休をとっていました。
- 子供が生まれると早く復帰して来いと言われましたが、私は、自分で子供を育てたかったのでもう少し待って欲しいと言ったのですが、どうしても戻ってきて欲しいと言われました。
- それで、『子供を連れって行ってもいいですか?』と聞くと『猫でもなんでも連れて来い』と言ってくれたので、私は、子供を連れて出勤したんです」
- 『第1358回「アグネス論争から15年」』[1]テレビ静岡 2003年11月22日放送より引用
- 「日本の教育の海に投げ込むのは、とても心苦しく、大きなためらいがあります」
- アグネス・チャン著『アグネスの命がいっぱい』の章見出しより引用
- 「女たちはルールを無視して横紙破りをやるほかに、自分の言い分を通すことができなかった」
- 上野千鶴子著『働く女が失ってきたもの』より引用
[編集] 関連項目
[編集] 関連文献
- アグネス・チャン著『愛、抱きしめて アグネスの結婚・子育て奮戦記』現代書林、1989年5月、ISBN 4876202818
- アグネス・チャン著『アグネスの命がいっぱい』(『P-and books』)、小学館、1989年1月、ISBN 4093470111
- アグネス・チャン、マイラ・ストロバー著『この道は丘へと続く 日米比較ジェンダー、仕事、家族』共同通信社、2003年9月、ISBN 4764105276
- 原著: Myra H. Strober, Agnes Miling Kaneko Chan, The Road Winds Uphill All the Way: Gender, Work, and Family in the United States and Japan, Cambridge, MIT Press, June 1999, ISBN 0262194155; MIT Press, April 2001, ISBN 0262692635
- アグネス・チャン著『不思議の国のOLたち』にっかん書房、1993年6月、ISBN 4526033413
- 「アグネス論争」を愉しむ会編『「アグネス論争」を読む』JICC出版局、1988年8月、ISBN 4880634336
- 附・論争経過表
- 上野千鶴子『アグネス論争からプッツンママへ』
- グループ「母性」解読講座編『「母性」を解読する つくられた神話を超えて』(『ゆうひかく選書』)、有斐閣、1991年6月、ISBN 4641181667
- 呉智英著『ブリッ子の理想主義と横紙破り』
- 呉智英著『サルの正義』双葉社、1993年3月、ISBN 4575282154、所収
- 呉智英著『サルの正義』(『双葉文庫』)双葉社、1996年7月、ISBN 4575710768、所収
- 小浜逸郎著『男がさばくアグネス論争』大和書房、1989年6月、ISBN 4479720324
- 斎藤美奈子著『モダンガール論 女の子には出世の道が二つある』マガジンハウス、2000年12月、ISBN 4838712863
- 斎藤美奈子著『モダンガール論 女の子には出世の道が二つある』(『文春文庫』)、文藝春秋、2003年12月、ISBN 4167656876
- 西島建男著『カラ元気の時代 八○年代文化論』朝日新聞社、1991年2月、ISBN 402256251X
- 林真理子著『いい加減にしてよアグネス』
- 林真理子著『余計なこと、大事なこと』文藝春秋、1989年4月、ISBN 4163431705 所収
- 林真理子著『余計なこと、大事なこと』(『文春文庫』)文藝春秋、1991年9月、ISBN 4167476096 所収
- 仁藤泰子著『アグネスの宝宝(ボウボウ) 子育て奮戦記』筑摩書房、1988年9月、ISBN 4480854622
- 若桑みどり著『「アグネス論争」』
- 若桑みどり著『レット・イット・ビー』角川書店主婦の友社、1988年11月、ISBN 4079291159 所収