ばんだい号墜落事故
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ばんだい号墜落事故(ばんだいごうついらくじこ)とは1971年(昭和46年)に函館空港に着陸直前であった東亜国内航空のYS-11が郊外の山地に墜落した航空事故である。原因であるが計器の誤読によるパイロットミスなど、様々な説が唱えられたが、確定するまでには至らなかった。
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[編集] 事故の概略
1971年7月3日、札幌・丘珠空港から函館空港に向かっていた東亜国内航空(日本航空ジャパンの前身)63便はYS-11「ばんだい号」(機体記号JA8764)で運航されていた。函館空港上空周辺まで近づいていたが、午後6時5分から10分頃に空港から北西約15Kmの横津岳(北海道亀田郡七飯町)に墜落した。事故当時の空港周辺は風雨が強く、着陸が可能な最低限の条件をかろうじて満たしている程度であった。そのため夜になったこともあり捜索活動にも影響し、自衛隊のヘリコプターによって墜落現場が確認されたのは翌日のことであった。
この事故で運航乗務員2名、客室乗務員2名、乗客64名、のあわせて68名全員が犠牲になった。なお東亜国内航空は事故の直前の1971年5月に日本国内航空と東亜航空という2つの航空会社が合併して誕生した航空会社であったが、同社にとって唯一の死亡事故である(ただし日本国内航空の前身の日東航空・富士航空は死亡事故を起こしている)。
[編集] 事故原因
同機にはフライトレコーダーが搭載されていなかったこともあり、完全に事故原因を解明することは出来なかった。
事故発生当時、空港上空は雲に覆われており、最低限の条件をかろうじて満たしている程度であった。また上空の風が強いという当時の気象条件によって機体が大きく流されていたとされた。そのため事故原因として操縦乗員(日本人機長とアメリカ人副操縦士)は進路を返針する地点の目安となる無指向性無線標識(NDB)上空に達していないにも関わらず勘違いし、早めに変針したために着陸進入のために高度を下げたところ山地に激突した説が大勢となった。NDBは精度が高いとは言えず、過去にも標識の上空でなくても機器が通過したと表示したことが度々起きていたためである。
しかし、この説には異論もあり機長に不測の事態が発生し(無線通信を分析した所、機長の会話で「思考の遅れ」を感じさせる兆候が見られるとの結果が出ている)、来日して間もない副操縦士が函館の空に不慣れなため事故に至ったとの仮説もある。また函館近辺の航空地図だけがレイアウトの都合から北方向を上にする通常の書き方ではなかったため、誤読したとの仮説もあるが、いずれも確証があるものとはいえない。
更に大きな問題は、函館空港や市内でばんだい号と思われる飛行機の爆音や、飛行機そのものを見たという証言者が多数出たことにあった。彼らの証言を集めると「空港上空まで到達、着陸復航しようとして山の方に向った」と判断される航路が割り出された。しかし同時刻に飛んでいた他社の航空機もあったこと、更にNDBを勘違いしたいう仮説と整合が取れないため、事故調査委員会が大いに紛糾する(委員の中からは「目撃証言など、取らなければ良かったのだ」とまでの発言もあった)こととなり、結果的にこの証言を採用しない形で結論が出されたことから証言担当の委員は、報告書提出前に抗議して辞任している。