さぎの宮駅
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さぎの宮駅(さぎのみやえき)は、静岡県浜松市大瀬町にある遠州鉄道鉄道線の駅。
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[編集] 駅構造
1面2線の有人駅。通常は西側線路を使用。 駅舎がある。道路からは地下道経由で駅舎と連絡している。駅そのものは道路より若干高い位置にある。
駐輪場は駅の東西どちらも線路沿いにありわかりやすい。 駐車場は無い。東側に送迎用の駐車場と反転地兼用のスペースがある。 西側には送迎用の場所も反転地も無い。どちらも車一台分がようやく通れる道幅でありアプローチには十分な注意が必要。
[編集] 利用状況
- 主として通学・通勤用に利用される。
- さぎの宮駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 | 特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1985年(昭和60年) | ←←←← | ||||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | ||||||
1987年(昭和62年) | ←←←← | ||||||
1988年(昭和63年) | ←←←← | ||||||
1989年(平成元年) | ←←←← | ||||||
1990年(平成2年) | ←←←← | ||||||
1991年(平成3年) | ←←←← | ||||||
1992年(平成4年) | ←←←← | 368,893 | |||||
1993年(平成5年) | ←←←← | 364,462 | |||||
1994年(平成6年) | ←←←← | 366,553 | |||||
1995年(平成7年) | ←←←← | 369,223 | |||||
1996年(平成8年) | ←←←← | 377,426 | |||||
1997年(平成9年) | ←←←← | 353,664 | |||||
1998年(平成10年) | ←←←← | 362,254 | |||||
1999年(平成11年) | ←←←← | 347,245 | |||||
2000年(平成12年) | ←←←← | 344,595 | |||||
2001年(平成13年) | ←←←← | 345,943 | |||||
2002年(平成14年) | ←←←← | 344,514 | |||||
2003年(平成15年) | ←←←← | 353,928 | |||||
2004年(平成16年) | ←←←← | 386,521 | |||||
2005年(平成17年) | ←←←← | ||||||
2006年(平成18年) | ←←←← |
[編集] 駅周辺
駅周辺部西側は有玉北町、駅を含む東側は大瀬町である。 駅東側を電車と併走する二俣街道沿いにはいくつかの商店がある。
駅西側は、有玉北町の中でも新村と呼ばれる集落である。更にその先には有玉台や半田山などの新興住宅地があり、自転車で通う人たちや車で送迎してもらう人も多い。
駅東側は、大瀬町の中では大瀬西と呼ばれる古くからの集落がある。そこからのどかな田園をはさんで鷺宮神社(八坂神社)がある。この神社から向こう側には鷺宮団地が広がる。鷺宮神社では毎年8月14日・15日の大祭が催される。 下大瀬中・下大瀬西・栃木の3つの集落に分かれ自らの手で行う打ち上げ花火、仕掛け花火、手筒花火が見物である。神社のすぐ裏手に広がる水田を利用した花火の打ち上げ場所は花火会場としては絶好と言える。
このように周辺にいくつかの住宅地を抱えるため、駅周辺の鄙びた様子に反して駅利用者そのものは比較的多い。駅東側をしばらく西方向に進むと152号有玉バイパス(飛龍街道)がある。近年開発が進んだこのとおりには飲食店が立ち並ぶ。
[編集] 歴史
- 1909年(明治42年)12月6日 大日本軌道浜松支社の共同駅として開業。
- 1919年(大正8年)10月12日 会社譲渡により、遠州軌道(のちに遠州鉄道)の駅となる。
- 1923年(大正12年)4月1日 遠州共同駅に改称。
- 1966年(昭和41年)4月1日 さぎの宮駅に改称。
- 1972年(昭和47年)10月1日 北に100m移転。積志駅との間にあった遠州新村駅廃止。