Wikipedia‐ノート:あいさつ同好会 (仮)
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[編集] 「あいさつ」はGFDL違反?
最近、『履歴継承の不備によるGFDL違反』として削除依頼がありますと、しばしばModehaさんから『そんなルールはない、後から注釈を付ければ十分』として削除反対の主張があります。で、それに異論を唱えると『それならウェルカムメッセージもGFDL違反のはずだ』と反論されます。
これは強力なロジックです。もしこれが正しいなら、GFDL違反による削除を全ての「あいさつ」に適用して削除しなければなりません。だから、履歴を後から補完すれば削除しなくてよい……とも思えないんですよね。しかし「あいさつ」を全て削除するのは(不可能でないにせよ)現実的な解決ではないでしょう。
「あいさつ」がGFDL違反でないことを論証するか、GFDL違反を解消するための(削除以外の)対策を見い出すか、どちらかが必要ではないかと思います。 -- NiKe 2006年2月6日 (月) 01:28 (UTC)
- あまり深刻に考えたことはありませんが、現段階では違反になると考えうるのでしょうかねぇ。もし、GFDLの規定に、その効力を免ずる条項があるのであれば(無いようですが)、「ご利用はご自由に」とWikipedia:挨拶文の文例の冒頭にありますから、GFDLにかかわらず自由にこのページの文章を利用することができると考えられますが。簡潔にそれを解決するには、Template:プレビュー機能のお知らせのようなものを作成するか(こういうテンプレートはGFDLに引っかからないのでしょうか?)、今後、挨拶の最後の部分にその文章のもとである文章が載っているページにリンクを貼るようにすれば今後はどうにかなるかなとも思うのですが、それ以前の問題は厳しいですね。Wikipedia自体がすべての文章をGFDLでライセンスしている以上は、どうしてもついてまわる問題であるとは思いますが。削除以外の現実的な対策はなかなか難しいですよね。きっと。どうにかGFDL違反でないことを論証できたらいいんですが。--tgmsito //talk// 2006年2月6日 (月) 09:13 (UTC)
- 横からで失礼致します。「ウェルカムメッセージもGFDL違反」という主張がWikipedia:挨拶文の文例をコピーして編集していることを根拠にしているのでしたら、おそらく現状のWikipediaの記事のかなりの数が影響する気がしてやみません。というのも、各種ウィキプロジェクトで策定した本文フォーマット(Wikipedia:ウィキプロジェクト 作家/テンプレートなど)や、各種テンプレートをコピーして編集した記事と言うのも同様の行為であると看做せるからです。法的な用語が多いため私がGFDL原文をまだ熟知していないため判断できないのですが、慣例的にテンプレート文章などは利用できると言うものではないのでしょうか。(それを言ったら普段は→の私の署名も、利用者ページに「覚書」にしているものをコピペしてたりしますが) Schwarz (会/歴) 2006年2月6日 (月) 09:42 (UTC)
- これはやはりWikipedia:著作権なりなんなりで、substに対する解釈を規定しておくべきかもしれません。Template空間内の物をsubstした場合に限り違反にならないようにする解釈を決めておけばいいと思います。--コピペ移動に対するSD理由を{{subst:コピペ移動元の記事名}}にしているPiaCarrot 2006年2月8日 (水) 11:02 (UTC)
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- 挨拶についてはTemplate空間に置くことで問題は解決すると思います。subst展開でも問題ないでしょう。subst展開を問題にすると僕のように署名として利用者ページのサブページを使用するのも問題になります。昔は埋め込みが可能でしたが、現在では署名は強制的にsubst展開されます(オプションのどこかをいじると署名が強制的にsubstになってしまう)。MediaWikiの仕組み上subst展開によるGFDL違反は考えなくてもいいと思います。要約欄に{{subst:hogehoge}}と書いておけば十分でしょう。どうしても気になるのならsubst展開せずに埋め込むのも一つの手です。--端くれの錬金術師(talk|contrib.) 2006年2月9日 (木) 18:18 (UTC)
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- こんにちは。Toki-hoと申します。みなさまのご指摘を拝読して、あいさつ文に関して、GFDLが適用されるか否かという考え方も必要なのか、と、目をひらかれるような思いでした。以下わたしの考えを述べます。Wikipedia空間内の文書は、Wikipedia.jaにおいては、Wikipedia.jaを運用していく上で必要なきまり、あるいは、道具(?)のようなものですので、いわば、法律や通達文書のように、「表現」において独自性が主張されるものではないように思います。それが、常識的に考えてコミュニティーの暗黙の合意であれば、ことさら問題にする必要がない、と、いったようなものですが、かかわる人が多くなるにつれて、「あいさつ文が履歴継承なしにコピペされている」ことを理由に、GFDLの有効性を問題にする、あるいは、表現において独自性がみとめられる他の文章についても、「あいさつがコピペなんだから、記事も履歴継承なしのコピペでいいでしょう」と、おっしゃる方が参加される場合もあるかもしれません。これは、「常識的にいままでの慣例からいってあいさつ文のコピーはOKなのよ」という言い方が通じるかどうか、という問題だと思います。NiKeさんの問題提議もそこにあるのだと存じます。通じるなら、(つまりコミュニティーが新規参加者にそれをきちんと説明できるなら)、いままでどおりでなんら問題はないとおもいますし、もし通じないなら、「コミュニティーが常識的にとってきたあいさつ文に特段の表現の独自性をみとめないという慣例が通じなくなったので」という但し書きをつけて、きまりをつくるほうがいいかもしれません。いちばん簡単(?)な方法は、あいさつ文にかぎらずWikipedia空間内、および各自のサブページ(挨拶をおいているページなど)のうち、必要なページに「以下の文章はWikipedia.ja内に限り、履歴継承なしのコピーペースト自由」といったようなテンプレートをはり、そのテンプレートの説明に、「Wikipedia.ja運営上の文章であるため特段の表現の独自性をみとめない、あるいは執筆者自身がWikipedia.ja内で、表現の独自性を主張しないページにこのテンプレートをはります。」というような説明を書くというのは、いかがでしょうか。Toki-ho 2006年2月9日 (木) 23:45 (UTC)
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あいさつ文をGFDLじゃなくてパブリックドメイン文書として作成しなおせばいいのでは? 後になって都合良くGFDLの解釈を変えるだけで解決できる問題でもないと思う。Saintjust 2006年2月10日 (金) 00:05 (UTC)
- 挨拶の場合は使うとき要約欄にソースを書くのも変なので、筆者が求めない限り、GFDL違反にあたるとしても削除の必要はない、とどこかで宣言すればよいのではないでしょうか?
- 私の挨拶控はページ冒頭に
ここにある文例は適当に編集してお使いいただいて結構です (挨拶に利用の場合は要約欄に出所不要)(署名)
- と明記しています。Wikipedia:挨拶文の文例に転記するときは、要約欄に「Miyaの文例から」と明記してもらえると嬉しいですが、し忘れたとしても削除は求めません。--miya 2006年2月12日 (日) 11:33 (UTC)
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- こんにちは、Maris stella です。これは、簡単に言えば、Modeha さんが訳の分からない屁理屈を言っているのだと考えるのがよいでしょう。わたしも、Modeha さんからおかしなことを書かれて困りましたが、真面目に対応する種類のことではありません。とは言え、この「問題」は、確かに重要な面があり、そこははっきりと確認せねばならないと思惟します。次のように考えます。
- まず、GFDL は、「コピーライト」を否定しているライセンスではありません。著作権は著作者の元にあるのであり、著作権を持つからこそ、GFDL でライセンス提供できるのです。まず、このことを確認してください。
- 次に、「著作権」はどのような条件で認められるかということを考える必要があります。各国で異なりますが、ここは日本語版なので、日本の著作権法に準拠するのが妥当です。その場合、GFDL よりも、著作権法が優先するという事実を認めなければなりません。GFDL でライセンス宣言しても、著作権法に違反する場合は、ライセンスは無効で、著作権侵害の虞あり、となります。
- 以上の二つを前提にして、次に「挨拶文」というのは、そもそも「著作物」かという判断の問題になります。日本の著作権法は、解釈次第でどうとでも取れるような文面になっていますが、「解釈」は判例によって基準が決まっています。少なくとも、訴訟の対象となるのは、「有意味に芸術性や独創性」が確認できるものです。「挨拶文」は長いので一見、著作物に見えます。また、既存の「挨拶文」を変更してオリジナルな文言や表現が加わった「挨拶文」もあり、これは一層に著作物と思えます。
- しかし、「挨拶文」に含まれるのは、どう独創性を凝らしても、その基本的な性格上、「慣習的な挨拶文言」と「ウィキペディアにおける参照文書のURLリンク」という二つの成分から成り立ちます。この二つの成分は単独では著作権性を持ちません。著作権性が発生するとすると、これら成分の「組み合わせ」の独自性にあるというしかありません。
- では、組み合わせの独自性に基づいて、著作権が発生するのかという問題です。一般の文学などの独創性や芸術性が想定される文章の場合、「表現の選択と結果の効果における意図」が前提になって、芸術性とか独創性が判断されます。「美しい少女」を描写するのに、「すごく美しい少女」というのは独創性はありません。「すごく」を一万回繰り返せば、実際に人間が書いた文章で、そのようなものはないと思えますから独創性があるように見えます。しかし、こういうものは「独創性」なのかという問題が起こります。現在、言語のシンタックス・モデルに基づいて、自動的に文章を生成するプログラムがあり、自動的にそれらしい音楽を作曲するプログラムもあります。こういう場合、プログラムには著作権があるかも知れませんが、そのプログラムが生成する文章・音楽に著作権は「ない」と言えます。
- 何故なら、慣習的に存在する表現に著作権はなく、その機械的な組み合わせにも著作権はないと言えるからです。「芸術性」とか「独創性」は、慣習的な表現の組み合わせの機械的生成が可能となった時点で、その規則性・プログラムを越えた位置に存在するものと考えないとなりません。小説のなかの一つの情景描写や表現、会社概要の一見事実の列挙と見える記述……こう言ったものは、「全体の文脈」を前提として存在し、また「表現効果」が意図されるものです。つまり、芸術的な表現、独創的表現は、表現の背景にあるコンテクスト、人間の生き方のありようが前提になっていると考えねばなりません。
- 表現の「コンテクスト」を考えるということは、まさに訴訟となったとき、裁判官は何に依拠して判断するかといえば、状況の全体的なコンテクストをどう把握するかで決まって来るのです。「挨拶文」の場合に重要なのは、その文章の組み合わせや表現に、どういう意外なものが含まれていたとしても、全体のコンテクストは、「ウィキペディアでの挨拶」という目的において収束しています。
- ウィキペディアの「挨拶文」は、作成した人は、不特定の人が使用することを前提に造っています。この事実と、目的が規定するコンテクストの限定から、「挨拶文」には著作権性は「ない」という結論が出てきます。これは「法の適用解釈」の一つのオペレーションであり、これで正しいという訳ではありません(正しいかどうかは、裁判官が決めるからです。逆に、Modeha 氏の主張も、裁判官が同じ意見になるかと言えば、そういう保証はほとんどありません。「狼が来るかも知れない」とは誰でも言えますが、本当に狼が来るのかどうか、「蓋然性の熟慮」によって決まります。これを認めないと、どんな文章でも、「どこかからの模倣・転載かも知れない」という可能性は払拭できない以上、一切の投稿が不可能となります)。しかし、Modeha 氏の法解釈オペレーションに較べれば、遙かに精緻な考察です。
- ここまで述べましたから、「挨拶文」には著作権性は「ない」と宣言し、既存の挨拶文について、作成者に確認を求め、今後作成される挨拶文については、「著作権性がない」という前提の記述を入れることにすれば(つまり、PDとすれば)、問題は解決すると思います。--Maris stella 2006年2月12日 (日) 14:52 (UTC)
- 段上げされて記述された長文の部分は冗長では?「著作権性」と言う造語が不明だし、「挨拶文」は全て日本著作権法の著作物に該当するし、著作権法による保護を受ける。無論、GFDLによってもライセンスされている。そして、「挨拶文」をその著作権者がパブリックドメイン(PD)であると宣言したと言う事実があれば、ウィキペディアにおいても当該PD宣言された著作物をGFDLに拘束されずに利用できるかのように思われる。と言う結論は、上記の長文の部分の論述とは無関係に成立しえます。(なお、かのように思われる。と仮定形なのは、パブリックドメインが本当に成立しうるのかの真偽や、GFDLやウィキペディアの方針との齟齬を起こす可能性の検討の余地が過分にあるからです。)--220.217.234.234 2006年3月7日 (火) 11:46 (UTC)
- こんにちは、Maris stella です。これは、簡単に言えば、Modeha さんが訳の分からない屁理屈を言っているのだと考えるのがよいでしょう。わたしも、Modeha さんからおかしなことを書かれて困りましたが、真面目に対応する種類のことではありません。とは言え、この「問題」は、確かに重要な面があり、そこははっきりと確認せねばならないと思惟します。次のように考えます。
[編集] ユーザーボックス作成
あいさつ同好会のユーザーボックスがなかったので、ユーザーボックスを作ってみました。
{{Userbox |border-c = #000000 |id-c = green |id-s = 12 |id-fc = blue |info-c = yellow |info-s = 8 |info-fc = #000000 |id = [[画像:Acker-Witwenblume Knautia arvensis.jpg|44px]] |info = この利用者は[[Wikipedia:あいさつ同好会 (仮)|あいさつ同好会]]に所属しています。 }}
一応このような表示になります。
この利用者はあいさつ同好会に所属しています。 |
まだ仮の段階ですので、改善点などございましたら、お願いします。--うりぽん 2006年2月21日 (火) 11:02 (UTC)
- 必要性と有用性がわかりません。あえて個人的見解を述べれば、導入には賛成いたしかねます。どうしても使いたいという方を無理にとめる気はありませんが、その場合でも同好会として使用を奨励しているようにとられる表現は、慎んでくださるように強く希望します。--Aphaia 2006年2月23日 (木) 03:44 (UTC)
- なるほど。「その場合でも同好会として使用を奨励しているようにとられる表現は、慎んでくださるように強く希望します」という文章について疑問に思ったのですが、利用者:Snty-tactさん、利用者:Tanadesukaさんが使用しているものはどう考えますか?(2人とも違うものですが、「その場合でも同好会として使用を奨励しているようにとられる表現は、慎んでくださるように強く希望します」に問題がありそうなものですが。)
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- あと、ご指摘どうもありがとうございました。--うりぽん 2006年4月6日 (木) 11:02 (UTC)
- snty-tact (Talk)です。名前があがっていたようなのでちょっと発言させていただきます。私の場合、現在付けているバベルはほとんど趣味といいますか、「お知らせ」というよりも、「表示」だけな感覚で使用しています。このバベルを作成したのは同じく同好会に所属していらっしゃるTomomarusanさんですが、Tomomarusanさんは、このバベルを同好会のメンバーに奨励しているものではありません(少なくともそのことを利用者ページに書き込まれてはおりません)。彼自身のページにもありますが、Tomomarusanさんもこれを一つの装飾品と考えていらっしゃいます。バベルを使うのは私たち次第、従ってこれをしていても問題にはならないというのが私の見解ですが、いかがでしょうか。--snty-tact (Talk) 2006年4月6日 (木) 14:40 (UTC)
- ふむ。すると、皆さんの意見まとめますと、「同好会としての利用」ではなく「個人的の利用」ということですね。--うりぽん 2006年4月9日 (日) 10:36 (UTC)
- 上にあるソースをそのまま利用者:Command827/Template:あいさつ同好会にコピーしました。{{利用者:Command827/Template:あいさつ同好会}}でユーザーボックスを表示できます。--Command827 2006年10月25日 (水) 11:25 (UTC)
- ふむ。すると、皆さんの意見まとめますと、「同好会としての利用」ではなく「個人的の利用」ということですね。--うりぽん 2006年4月9日 (日) 10:36 (UTC)
- snty-tact (Talk)です。名前があがっていたようなのでちょっと発言させていただきます。私の場合、現在付けているバベルはほとんど趣味といいますか、「お知らせ」というよりも、「表示」だけな感覚で使用しています。このバベルを作成したのは同じく同好会に所属していらっしゃるTomomarusanさんですが、Tomomarusanさんは、このバベルを同好会のメンバーに奨励しているものではありません(少なくともそのことを利用者ページに書き込まれてはおりません)。彼自身のページにもありますが、Tomomarusanさんもこれを一つの装飾品と考えていらっしゃいます。バベルを使うのは私たち次第、従ってこれをしていても問題にはならないというのが私の見解ですが、いかがでしょうか。--snty-tact (Talk) 2006年4月6日 (木) 14:40 (UTC)
- あと、ご指摘どうもありがとうございました。--うりぽん 2006年4月6日 (木) 11:02 (UTC)
[編集] Recentchanges
メンバーの皆様、ようこそです。はじめまして。いきなりお願い事で恐縮ですが、最近更新したページRecentchangesをチェックしていて気づくのですが、ログインユーザーでノートページの赤リンクの方を散見いたします。今夕からの履歴の中に7人いらっしゃいました。中には半年前からの参加者も。赤リンクユーザーをお見かけしたら歓迎のお声かけのほどよろしくお願い申し上げます。--ようこそ 2006年2月24日 (金) 12:34 (UTC)
[編集] 初心者の誤解を惹起していないか
このような活動があったのですね。初めに私の不明をお詫びすると共に、皆様のご努力に敬意を申し上げます。
ちょっと気になったので、申し上げます。
私はSuisuiさんからようこその挨拶を頂戴しましたが、まだウィキペディアに慣れてなかった頃だったので、「Suisuiさんがウィキペディアの管理人で、定形的な挨拶文もSYSOPの彼が自動スクリプトか何かで送っているものだ」と誤解を起こしていました。「管理人」の誤解はウィキペディアで活動する過程で程なく解けましたが、後者はこのページを見るまで抱き続けていました。また、個人名(ハンドル)を出しての挨拶は初心者を畏縮させたり、挨拶を寄越した者をあらゆる意味で強権的な存在だと誤解させたりするように思えます(例えばパソコン通信のニフティサーブでは初期において入会記念日や誕生日などおりにつけ社長の個人名で挨拶メールを送っていましたが、私はこれと同類と見なしていました)。
私自身の誤解はこのページの発見で瓦解しましたが、上記の疑問について提示させて頂きます。ウィキペディアがより良きものになりますように。--Kussy 2006年3月25日 (土) 04:21 (UTC)
[編集] バーンスター作成
あいさつバーンスター画像を作成しました。
画像 | 記載内容 | 詳細 |
---|---|---|
画像 = Greetings Barnstar.png
バーンスター名 = あいさつバーンスター |
あいさつバーンスター
コミュニティ: あいさつ同好会 あいさつバーンスターは、多くの歓迎の挨拶を行った、あるいは良質の歓迎文の執筆者に贈られます。 |
このバーンスターについてのご意見は利用者‐会話:Command827までお願いします。--Command827 2006年11月6日 (月) 14:41 (UTC)
- WikiThanks のままのほうが個人的には好きだなあ。それは好みとしても、その星とWikiThanksはあまりいい取り合わせではないようにおもいます。--Aphaia 2006年12月9日 (土) 01:55 (UTC)
[編集] そろそろウェルカムメッセージはやめたらどうだろう
井戸端にて問題提起をさせていただきました→Wikipedia:井戸端#そろそろウェルカムメッセージはやめたらどうだろう。Wikipedia設立時とはだいぶ状況が変わっていますし。とりあえずかような話題を出しているというお知らせまで。--Nekosuki600 2006年12月8日 (金) 13:34 (UTC)
新しく作られたアカウントのノートへのウェルカムメッセージだけど、そろそろあれはやめてはどうだろうか。
何はともあれ参加者が増えるのは歓迎、というレベルはもう通り過ぎたような気がする。誰であろうとも歓迎とかいう必要はなくなってると思う(そんな時期がいままであったのかという疑問はあるわけだけど)。また、ビギナーさんは、ビギナーさんの状態のままがんばって参加するなんてことをしてもらいたいわけではない。とりあえず馴染むために時間をかけてもらいたいということもある。しばらく静観・放置でいいと思う。
まあ、「やめろ」と言うわけにもいかないのだが、そういうボットを動かしているひととか、止めることを検討してもらえるとうれしいなあと。ま、そんなことを呼びかけてみます。--Nekosuki600 2006年12月8日 (金) 10:21 (UTC)
- あいさつ同好会の方々がメインになって行っている活動のようなので、そちらのノートで呼びかけてみてはいかがでしょうか?--219.121.35.17 2006年12月8日 (金) 13:04 (UTC)
- あいさつ同好会の方にも、こういう話題を出している旨、お知らせしてきました。ご指摘ありがとうございました。--Nekosuki600 2006年12月8日 (金) 13:34 (UTC)
- 無視でもいいかなと思ったけど 2点ほど気になったので、まずウェルカムメッセージの内容は単純に新参者をただ歓迎するだけのものではないです(たまに「歓迎します」だけ入れる人がいますが・・・)。大抵はガイドブックや井戸端、中立的な観点などのページの紹介を行っています。これは善意で投稿してくれているのに Wikipedia のやり方が良く分かっていないため起きるトラブルを軽減するなどの役割があると思っています(実際効果があるかは正直疑問ですが、少なくとも問題を起こしたときに「知らなかった」では言い逃れはできなくなります)。
- 後 Nekosuki600 さんは、もう Wikipedia の利用者は十分充実していると思っているように感じますが、僕自身はPortal:コンピュータの新着項目のメンテナンスなどを行っていると、たまに有名な事なのにほんの最近になって記事が作成されたり、作成されてもサブスタブで驚くことが良くあります。また新着項目の半数以上は数人の常連の手によるものです。正直かなりの人手不足を感じています。少なくともコンピュータ関連やその他の学問関連などでは執筆(サブスタブのような問題投稿は別にして)を行ってくれるなら未だに「何はともあれ参加者が増えるのは歓迎、というレベル」だと思っていますし、そういう方にウェルカムメッセージを入れることは有用と思います(最も Nekosuki600 さんはボットなどで無差別にウェルカムメッセージを送ることを問題視しているようにも思いますが)。
- 個人的には、いずれにせよウェルカムメッセージは「社交辞令」であり、それはマナーとして必要だと思います。--U-ichi 2006年12月9日 (土) 20:11 (UTC)
- 少しNekosuki600さんの提起された問題からそれますが、いい機会なので。「利用者‐会話:へのいち」をご覧いただけると幸いです。相手への思いやりがあってこそのマナーだと思いますが、いかがでしょうか。もっとも、ウィキペディアについて知っておくべきことを案内するのは意義あることだと思います。要は伝え方でしょうか。--へのいち 2006年12月10日 (日) 03:03 (UTC)
- 私も逸れるかもしれませんが関連してコメントを。日本語版ではウェルカムメッセージをもらったことはありませんが、他の言語版で、バベルで0のテンプレートを貼っているのにその言語でウェルカムメッセージがどべーっと貼られると、「わかんないっていってるじゃん」とちょっと空しくなります。日本語版でもCategory:User_ja-0から辿ると同じようなことがあるようです。プログラムを用いてでもウェルカムメッセージを投稿するのは荒らしへの牽制という意味もあるのかなと推測していますが、利用者ページがある時にはせめてその内容を確認してから会話ページに投稿するくらいの配慮はほしいです。
- ただ、日本語版ではウェルカムメッセージをもらう前にプレビューのお知らせを貼られて、その時はテンプレートのことを知らなかったので、ぜんぶ手で打ち込んだのだと思いましたし、びっくりもし、動揺もし、その時編集していた記事の要約欄でのベテランさんの書き込みの言い回しなどにも傷つきすごく憤慨した記憶があります。ですので、ウェルカムメッセージ自体は、最初に送られてくるメッセージとしては他のものよりはよいと思いますし、同時に、ウィキペディアに慣れてきても、あの時の動揺と憤慨は忘れないようにしないとと思ったりします。半分個人的な感懐を述べてしまいすみません。--Aotake 2006年12月10日 (日) 07:11 (UTC)
- 「あの時の動揺と憤慨」について誤解があるといけないので補足しておきます。慣れてきてから見てみると、その時のお知らせも、要約欄の書き込みもごく普通の行為で、悪意も何もない妥当なものだったのですが、初めてウィキペディアに参加した「お作法」を知らない時にはそういうことがわからず、動揺の中で「なんで?」と反発を覚えたということです。--Aotake 2006年12月10日 (日) 07:21 (UTC)
- 自分で投稿ブロック(無期限)をしておいてその後そのユーザーにウェルカムメッセージを送っている某管理人がいます。いっそ専用のBOTを作って回答が返ってこない旨と質問用の専用ページ作ったほうがいいんじゃないですか?生体BOTが片っ端から書き捨てていくくらいならデフォルトでメッセージが自動挿入されるほうがましです。210.250.84.157 2006年12月10日 (日) 07:16 (UTC)
どうもこんばんは。メッセージの有用性については上ですでにいわれているので繰り返しません。自動でやっている方は私が面識のある方のなかにはいらっしゃいませんが、みなさん具体的にどなたのことをそう考えられているのでしょうか。一部の方に、利用者ページもみたほうがいいということは前に申し上げましたが、「他にだれもやらないのだし、チェックして漏れが出て案内をいれない人がでるよりいれたほうがいい」とのことでした。サーバの負担にはなりませんので、私自身はそれほど気にしていません。日本語が分からない人への案内は一時期いれていましたが最近はいれない方が多いようですね。みなさまそれぞれに信念があってされているようなので、個別にご相談いただくか、あいさつ同好会のトークへ直接改善点をおっしゃってはいかがですか。なお私としては、あいさつ同好会で統一メッセージをもつということは、趣旨に外れるとおもうので、自分ではいいません。したい人がしたいことをするのが挨拶でそれを統制するというのは何かちがうように思います。同時にそれをやめろ等々いうのも違うんじゃないかと思います。--Aphaia 2006年12月10日 (日) 14:13 (UTC)
- 私の書き込みのせいで当初の話題をそらせてしまったようでNekosuki600さんには申し訳ないのですが、皆さんのご意見が聴けてありがたかったです。挨拶を受けた側の心情も知っていただけたと思いますし、より望ましいあり方の提案も出していただいたようです。(ただ、挨拶をやめろ等々おっしゃっている方はいらっしゃらなかったと思いました。Aphaiaさんの最後の一文は、もう少し言葉を選んでいただきたいと思います。)私としては、挨拶をなさる方にはこれらのことを心に留めていただければそれでよろしいかと思っています。--へのいち 2006年12月11日 (月) 00:45 (UTC)
- 日本語版と韓国語版でウェルカムメッセージを入れているのだが、最近は韓国語版でテンプレート(統一メッセージ)を使っているせいかリソースを食いつぶす原因(Substは使用禁止だと)にもなっているのでウェルカムメッセージを入れるのをやめました。--hyolee2 2006年12月11日 (月) 01:19 (UTC)
例えば挨拶とは別に、新規アカウントを作成した時にヘルプや井戸端などのページの紹介が既に利用者のノートページに書かれている状態にすることは出来ないのでしょうか。 By 健ちゃん 2006年12月11日 (月) 03:44 (UTC)
井戸端から移動 SGreen 2006年12月11日 (月) 11:17 (UTC)
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- Toki-hoと申します。ちかごろ(3ヶ月くらい?)ぜんぜん新しい方をwelcome してないので、意見を言う資格があるかなと思いつつちょこっと。もらうほうの立場としては、私は初編集したすぐあとくらいにメッセージをいただいてすごく嬉しかったし、さしあげるほうの立場としては、挨拶に返事をもらうとこれもまた嬉しいです。挨拶をした人のノートページはウォッチリストに入っているので、なにか気づけば手助けできるという場合もあります。ちなみにわたしは、挨拶はいっこづつ手書きです。(文案はもっていますが)。ですので、大量にはできません。だから、welcomeするのも勝手、しないのも勝手ということで、どうでしょうか?することで、すごく大きな弊害があるようでしたら、やめますが。上でご意見がでているように、機械的なからくりで、新規にアカウント作った人に、お役立ちページのご案内がでるようになるんだったらそれには賛成です。でも、それと挨拶はまた別なんじゃないでしょうか。Toki-ho 2006年12月11日 (月) 12:27 (UTC)
- 機械的に作業をするくらいならいっそ自動挿入やBOTである旨を入れろと思うが。Toki-hoさんみたいにやればいいのですが、現状では片っ端から挨拶を入れるだけ入れて後のフォローをしなかったり挨拶お断りのページに入れたり(多重アカウントが多そうだが)投稿ブロック済みのユーザーに入れたりと。押し売り状態の挨拶は非常に気になる。60.43.46.143 2006年12月13日 (水) 01:57 (UTC)
- Toki-hoと申します。ちかごろ(3ヶ月くらい?)ぜんぜん新しい方をwelcome してないので、意見を言う資格があるかなと思いつつちょこっと。もらうほうの立場としては、私は初編集したすぐあとくらいにメッセージをいただいてすごく嬉しかったし、さしあげるほうの立場としては、挨拶に返事をもらうとこれもまた嬉しいです。挨拶をした人のノートページはウォッチリストに入っているので、なにか気づけば手助けできるという場合もあります。ちなみにわたしは、挨拶はいっこづつ手書きです。(文案はもっていますが)。ですので、大量にはできません。だから、welcomeするのも勝手、しないのも勝手ということで、どうでしょうか?することで、すごく大きな弊害があるようでしたら、やめますが。上でご意見がでているように、機械的なからくりで、新規にアカウント作った人に、お役立ちページのご案内がでるようになるんだったらそれには賛成です。でも、それと挨拶はまた別なんじゃないでしょうか。Toki-ho 2006年12月11日 (月) 12:27 (UTC)
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[編集] 他のユーザーさんのページのウェルカムメッセージの使用について
- ٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥と申します。こちらでウェルカムメッセージに付いて議論されているようでしたので、質問させて頂きます。他のユーザーさんのページに書き込まれたウェルカムメッセージにあるウィキペディア項目のリンク集(と呼んで良いのかどうか判りませんが)の中には、自分でも「あったら便利そうだなぁ」と感じられるものがあります。こうしたものを自分のページにコピー&ペーストすることは許されるのでしょうか? 履歴継承も、他人のページから引っ張り出すというのは余り気持ちの良いものではありませんし、そもそも特定の人にだけ張られているものでも無いので「履歴継承」という概念が成立するのかどうかも疑問が残ります。コピー&ペースト後の編集ということも“込み”で、ご回答頂けると幸いです。尚、ここでは特に「どの方がどの方に書き込んだウェルカムメッセージである」とは限定しないものとし、普遍的な概念として解釈して頂けると有り難いです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月14日 (木) 06:23 (UTC)
- 厳密にいえば、すべてのページはGFDLでリリースされていますので、おっしゃるとおり履歴継承(GFDLでは主要な著者の名前5名までを書けばよい)すれば問題はありませんね。
- たいていのそうした表はテンプレートなどで作っているので、そのテンプレートをsubstすれば、履歴継承のことを気にしなくてもよいように思います。テンプレートはGFDL違反だと主張される方もいますが、ごく少数で一般に受け入れられているわけではないので、気にしなくてもいいかと。最近よくみるコンパクトなリンク集は{{ようこそのテンプレート}}なる名前だそうです。--Aphaia 2006年12月14日 (木) 06:54 (UTC)
- ご回答ありがとうございました。テンプレートを利用させて頂くことにします。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月14日 (木) 09:24 (UTC)
[編集] ウェルカムメッセージを投稿する際に
ウェルカムメッセージを投稿する際に、要約欄に記入することを徹底していただけないでしょうか、とログインユーザーの方から意見が寄せられましたので、紹介するとともに、今後とも、要約欄への記入に協力してくださいますよう、お願い申し上げます。--いちごミルクorder 2006年12月18日 (月) 12:28 (UTC)