電波結社バババ団
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『電波結社バババ団』(でんぱけっしゃ ばばばだん)は、1993年10月~1994年9月まで愛知県・岐阜県・三重県で放送された中京テレビ制作のバラエティ番組。
[編集] 概要
12年半にわたり放送された前番組『5時SATマガジン』を引き継ぐ形で、毎週土曜17:00~18:00の1時間枠で放送開始。前番組と同様、中京テレビBスタジオからの生放送。
放送初期は、元・チェッカーズの高杢禎彦が司会を、『5時SAT』放送末期でレポーターとしてレギュラーで出演していた本田みずほがアシスタントを担当。そして、当時全くの無名だったお笑いコンビフォークダンスDE成子坂の2名がその他レギュラーとして出演していた。コーナー「ローカルスターニュース」や中京地区の面白スポットの紹介など、番組内で放送の各種企画は前番組の放送内容をマイナーチェンジしての形で展開されたが、番組視聴者からの評判は決して良くなく、「初期の『5時SAT』の二番煎じでしかない」との批判までも受けた。一方、『5時SAT』が持っていた音楽番組的要素は当番組では薄められたために、それに期待していた視聴者からもまた不評を買ってしまう。高杢の司会進行能力に関しても、かつての司会担当者大竹まことのそれに比べると毒がなく地味で、これもやはり番組の評判を落としてしまう遠因となった。視聴率は低迷し、2クール後に高杢、本田の2名は番組レギュラーから降板させられた。
残った成子坂の2名に元・ribbonの佐藤愛子(放送当時は解散前)を加え、彼ら3名を司会に据えて番組はリニューアル。番組名も『電波結社バババ団II』と改題され、放送は続けられた。しかし、放送後期に当たるこの『バババ団II』においても視聴率は回復せず、合わせて1年で当番組は打ち切りとなった。
短命番組となった原因は、やはり前番組の二番煎じとなってしまい、『バババ団』独自の企画をほとんど生み出せなかったことが大きい。当番組の打ち切り後、しばらくはこの枠では中京テレビ自社制作番組の制作・放送は行われず、同局の情報番組『クスクス』の放送が開始されるまでは『進め!電波少年』の時差ネット及び過去のネット番組の再放送枠として使われていた。
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