蒼龍 (空母)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴 | |
---|---|
起工 | 1934年 11月20日 |
進水 | 1935年 12月23日 |
竣工 | 1937年 12月29日 |
喪失 | 1942年 6月5日 |
除籍 | 1942年 8月10日 |
性能諸元 | |
基準排水量 | 15,900t |
公試排水量 | 18,500t |
全長 | 227.5m |
飛行甲板全長 | 216.9m |
全幅 | 21.3m |
吃水 | 7.62m |
出力 | 152,000hp |
最大速力 | 34.5kt |
航続距離 | 18kt/7,680浬 |
乗員 | 1,100名 |
搭載機数 | 常用機57機(+補用16機) |
兵装 | 12.7cm連装高角砲12門 25mm連装機銃 14基28門 |
蒼龍(そうりゅう)は、旧日本海軍の航空母艦。中型の空母で、赤城・加賀の運用経験で確証を得られた手法を選んで無難に設計され、日本空母のモデル形になった。当初は航空巡洋艦として設計が進められ、基準排水量を10,000トン余りの船体には不釣合いの重兵装と高速力とを実現させるよう軍令部から指示が出された。しかし、当初は蒼龍の同型艦として計画されていた飛龍が竣工する頃にはワシントン軍縮会議およびロンドン軍縮会議の効力が無くなると判断し、蒼龍の設計を改めた結果、後の日本海軍の正規空母のモデルとなるスタイルを確立させた艦として誕生したのである。 中型空母としての性能は申し分なく、15万馬力の機関を搭載した蒼龍の最大速力は34.9ktを記録し、日本海軍の正規空母の中で最も足の速い艦でもあった。
[編集] 艦歴
1934年11月20日呉海軍工廠にて起工。1935年12月23日に進水し、1937年12月29日に竣工した。第2航空戦隊に編入され、1938年広東攻略作戦に参加。
1941年11月26日、真珠湾攻撃のため択捉島単冠湾を出港。12月8日真珠湾を攻撃。帰投中の12月21日、22日第2次ウェーク島攻略作戦支援のため飛龍と共にウェーク島を空襲。
1942年1月アンボン島攻略作戦を支援。2月19日ポート・ダーウィン空襲に参加。4月セイロン沖海戦に参加、英空母ハーミーズ等を撃沈。
6月ミッドウェー海戦に参加。5日、米急降下爆撃機の攻撃を受け爆弾3発が命中、大破炎上し沈没。艦長柳本柳作大佐以下718名が戦死。
8月10日除籍。
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の航空母艦 | |
同型艦無し: | 鳳翔 | 赤城 | 加賀 | 龍驤 | 蒼龍 | 飛龍 | 大鳳 | 信濃 | |
翔鶴型空母: | 翔鶴 | 瑞鶴 |
瑞鳳型空母: | 瑞鳳 | 祥鳳 |
飛鷹型空母: | 飛鷹 | 隼鷹 |
千歳型空母: | 千歳 | 千代田 |
大鷹型空母: | 大鷹 | 雲鷹 |冲鷹 |
雲龍型空母: | 雲龍 | 天城 | 葛城 | 笠置 |阿蘇 | 生駒 |
この「蒼龍 (空母)」は、軍艦に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。 |