マチルダII歩兵戦車
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歩兵戦車 Mk.II マチルダII(ほへいせんしゃー)は、第二次世界大戦前期にイギリス軍で使用された戦車で、歩兵戦車 Mk.I(A11、マチルダI)を元に、A12として大型化した歩兵戦車。
[編集] 概要
1936年11月にイギリス戦車の主力として開発がスタート、歩兵戦車として十分な装甲(最大装甲厚70mm、総重量26t)が優先され、武装は2ポンド砲・同軸機銃と小さめで、速度も最大24km/hと鈍足である。また、3インチ榴弾砲を搭載したCS(クローズ・サポート)型も生産されている。
1939年、配備開始。同軸機銃を7.92mmBESA機銃に換装したMk.II、ディーゼルエンジンを改良したMk.IIIなどMk.Vまで改良が重ねられた。
第二次世界大戦勃発時は量産に至らず、本格的運用は西方電撃戦でのアラスの戦いからであった。その分厚い装甲は、ドイツの非力な戦車(III号戦車など)・対戦車砲の砲弾を全て跳ね返し、一時ドイツ軍を危機に陥れた。北アフリカで戦争が始まると、アメリカからの供与戦車と共に、イギリス機甲部隊の主力として1941年のクルセーダー作戦などで活躍したが、低速で発展性に乏しくより大型の戦車砲を搭載することができず、1942年に入ると新型チャーチル歩兵戦車の配備が本格化したため一線を退いた。ただし本車は大戦を通して稼動し続けた唯一のイギリス戦車であり、その点は評価できる。しかし主砲の2ポンド砲は榴弾が用意されておらず、徹甲弾を直撃させる以外に敵歩兵や対戦車砲を制圧できないという致命的な欠陥があったという事実も否めない。ドイツ軍のロンメル元帥は、「Mk.IIは『歩兵戦車』と呼ばれているのに、敵歩兵に撃つべき榴弾が用意されていないのは何故だろうか。実に興味深いものだ」との回想を残している。
ソ連に対しレンドリースが行われたが、足回りが寒冷地向けではない(スカートが誘導輪を支える構造材を兼ねていた為取り外すことが出来ず、泥が詰まりやすく不評だった)など、同じく送られたバレンタイン歩兵戦車に比べ評判は良くない。
なお太平洋戦争においても東部ニューギニア戦線で昭和18(1943)年9~12月にかけて行われた港町「フィンシハーフェン」をめぐる戦いでオーストラリア第9師団が本車を使用し、同地を守ってい帝国陸軍第20師団と戦闘を行っている。
ここでも本車はその撃たれ強さを遺憾なく発揮し、3インチ榴弾砲を持つCS型が有効に用いられ、第20師団は人員の45%に損害を出し敗走している。