バム鉄道
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バム鉄道(ばむてつどう)はバイカル―アムール鉄道(露:Байкало-Амурская Магистраль)の略で、ロシア連邦にあるバイカル湖近くのタイシェトから分岐し、アムール川がオホーツク海にそそぐワニノまでの約4300kmを結ぶ鉄道である。ロシア連邦東部のシベリアで先に開業していたシベリア鉄道に並行するルートで進むため、第2シベリア鉄道とも呼ばれる。
元々この鉄道の計画は、満州事変が起こった翌年の1932年にはソビエト連邦により極東の防衛に備える目的で既に立てられており、さらには東西両端から建設が始められていた。しかし、第二次世界大戦の独ソ戦が勃発するとそちらの方へ全力を注ぐため一時建設が凍結され、戦局がソ連が優位に転じたところで日本との戦争に備えるべく再開、対日参戦の直前となる1945年7月末には東部の一部区間で運行を開始した。西部区間でも1947年にはタイシェト~ブラーツク間の輸送を開始している。また、バム鉄道の建設にはシベリア抑留で捕らえられた日本人も多く使われ、犠牲者も多かったという。
しかし、その後はソ連の投資方針が変わったこともあって一時建設が停滞した。建設が再開されるのは、中ソ対立によりダマンスキー島事件(珍宝島事件)などが起こって、再び極東の軍事強化が必要とみなされるようになった、1960年代後半のことである。
そして、経済が停滞しつつあった1984年にはようやく本線の全線が開通し、ソビエト連邦が崩壊してロシア連邦など独立国家共同体(CIS)が発足した後は、それまで軍事路線ということで外国人の乗車が禁じられたバム鉄道も開放され、現在ではツアー旅行などで同鉄道に乗車する企画も多く登場するようになっている。