サパルムラト・ニヤゾフ
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サパルムラト・ニヤゾフ(Saparmyrat Nyýazow, 1940年2月19日 - )はトルクメニスタンの政治家。トルクメニスタン初代大統領、トルクメニスタン民主党(DPT)議長。1993年からは「トルクメン人の長」を意味する「テュルクメンバシュ(Türkmenbaşy)」と名乗り、国内ではサパルムラト・テュルクメンバシュ(Saparmyrat Türkmenbaşy)と称される。世界で最も権威主義的で抑圧する独裁者のうちの1人として西洋のメディアで批判されている。
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[編集] 生い立ち
ニヤゾフは非常に早い時期に孤児となっている。彼の父親は、第二次世界大戦中に、ドイツ軍と戦って死亡。残りの家族は1948年に大きな地震によって死亡した。彼はその後、ソ連の孤児院で育てられ、次に遠くの親戚に預けられる。
[編集] 労働歴
孤児となったサパルムラト・ニヤゾフは優秀な成績で学校を卒業し、1959年、地質探査従事者労働組合トルクメン地域委員会で教官として働いた。1962年から共産党員。その後、レニングラード工業大学に入学し、1967年に卒業した。大学卒業後、ビュズメイ水力発電所で電気技師として働いた。
[編集] 共産党
1970年から1980年まで、トルクメニスタン共産党中央委員会。1980年、アシガバード市委員会第一書記。1984年から1985年、ソ連共産党中央委員会の党組織業務教官。
1985年にトルクメン共産党第一書記に就任して以来、トルクメニスタンの政界のトップとして活動。1990年1月13日、トルクメン・ソビエト社会主義共和国最高会議議長。彼の指導の下、議会で独立主権宣言が採択され、10月17日、国民投票によりトルクメン・ソビエト社会主義共和国大統領に選出された。10月27日、国民投票の結果、トルクメニスタンは独立国家と宣言された。
[編集] テュルクメンバシュ
ソビエト連邦崩壊後、憲法採択と関連して、1992年6月21日、トルクメニスタン大統領に選出。独立後は個人崇拝色を強め、権威主義的な超独裁体制を引き、1999年には終身大統領と宣言された。対外的には永世中立国を宣言し、カスピ海沿岸の天然ガスを利用して資源大国化を目論んでいるが、経済的には不安定である。また、近年はニヤゾフ自身の健康問題もクローズアップされている。
[編集] パーソナル
アシガバードのキプチャク村出身。父のアタムラト(トルクメニスタン人民英雄)は第二次世界大戦に分隊長として出征し、1942年に戦死した。母のグルバンソルタン=エジェ(トルクメニスタン人民英雄)と2人の兄は、1948年の地震で死亡した。
ロシア語を母語とするため、トルクメン語は不得手である。にもかかわらず、ロシア語の排斥、トルクメン語の単一公用語化を推し進めている。
妻帯、1男1女、2人の孫を有する。
レニングラード工業大学を卒業(1967年)。経済・政治科学博士、トルクメニスタン科学アカデミー会員。トルクメニスタン英雄の称号を2度受賞。
ニヤゾフの著書『ルーフナーマ』はトルクメン精神の聖典と美化されている。
[編集] 独裁エピソード
- 首都と大学を除く図書館の廃止も命令。
- ニヤゾフ大統領の「田舎の人はどちらにしても字が読めないのだから」という見解による。
- バレエ上演を禁止。
- ニヤゾフ大統領の「白鳥の湖の男性ダンサーの衣装が気に入らない」という見解による。
- 首都を除く地方の病院を閉鎖。
- ニヤゾフ大統領の「ちゃんとした医師は首都にいる。病人は首都に行けばよい」という見解による。
- 女性の金歯を禁止。
- ニヤゾフ大統領の「女性には金歯が似合わない」という見解による。
- すべての閣僚、地方行政府長官、軍人などにベンツの新車が支給された。
- 前年支給されたベンツは補佐官などに譲ればよいと大統領は付け加えた。
- コンサートやテレビなどのみならず、結婚式などでも口パクで歌うことを禁止。
- ニヤゾフ大統領の「歌や音楽の発展に負の効果をもたらす」という見解による。
- 若者のヒゲを禁止。
- ニヤゾフ大統領の「見苦しい」という見解による。
- ニヤゾフ大統領の著書「ルーフナーマ」(Ruhnama)は国民必読の書とされ、クルアーンと同等とされている。
- 教科書としても使われている。
- 首都ではほぼ50メートルごとに、ニヤゾフ大統領の肖像や銅像が設置されている。
- 肖像や銅像を清掃する担当者も存在する。
- 首都とニヤゾフ大統領の故郷のキプチャク村までの15キロメートル間は6車線の高速道路が整備されている。(ただし利用者は皆無)
- キプチャク村には黄金のニヤゾフ大統領家族像や利用者皆無のホテルが建設されている。
- ニヤゾフ大統領がカツラをかぶっていることを報道することもタブーである。
- 世界で2番目に報道の自由の無い国に認定されている。(2006 Reporters Without Borders)
- 既にケーブルテレビ局は全廃されており、ロシアのメディアを通じたテレビ放送枠も厳しく制限されている。
- トルクメニスタン国内では煙草は禁止。
- 8月15日をメロンの日に制定。
- ニヤゾフ大統領の大好物はメロンである。
- テレビのニュースキャスターの化粧禁止。
- ニヤゾフ大統領の「男なのか女なのか分からない」という苦情による。
- ニヤゾフブランドの商品が売られている。
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