へびつかい座
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へびつかい座 (Ophiuchus) | |
略符 | Oph |
属格 | Ophiuchi |
英語での意味 | the Serpent Bearer |
赤経 | 17 h |
赤緯 | 0° |
観測可能地域の緯度 | 80° - -80° |
正中 | 9 p.m., July 25 |
広さの順位 - 総面積 |
11位 948 平方度 |
明るい星の数 視等級 < 3 |
5 |
最も明るい星 - 視等級 |
Ras Alhague (α Oph) 2.1 |
流星群 |
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隣接する星座 |
へびつかい座(蛇遣座、Ophiuchus)は星座の1つ。トレミーの48星座のうちの1つ。
目次 |
[編集] 特徴
へびつかい座で最も明るい星は、ヘビ使いの頭にあるラス・アルハゲ(Ras Alhague若しくはRasalhague、α Ophiuchi)である。また、肘の部分のマルフィク(Marfic若しくはMarfik、λ Ophiuchi)は三重星である。
へびつかい座RSは、肉眼で見える唯一の再帰新星である。この明るさは、数日の間に不規則に数百回変化する。周期はない。
[編集] 固有名を持つ星
- ラス・アルハゲ(Rasalhague、α星)
- ケバルライ(Cebalrai、β星)
- ムリファイン(Muhlifain、γ星)
- イェド・プリオル(Yed Prior、δ星)
- イェド・ポステリオル(Yed Posterior、ε星)
- サビク(Sabik、η星)
- マルフィク(Marfic、λ星)
- バーナード星(Barnard's Star、太陽系に2番目に近い恒星)
[編集] 天体
へびつかい座にある主な星団は、IC 4665、NGC 6633、M9、M10、M12、M14、M19、M62、M107。星雲はIC 4603-4604がある。二重銀河NGC 6240もへびつかい座にある。また ρ星の近くには活発な星形成を行う分子雲が存在し、写真では暗黒星雲として写る。
[編集] 歴史
プトレマイオス以前には、この星座はその名のラテン形Serpentariusで知られていた。へびつかい座で最も重要な歴史上の出来事は、θ星の近くで1604年10月10日に観測された超新星である。この星はヨハネス・ケプラーによって観測され、ケプラーの星と呼ばれる。ケプラーは、この観測結果をDe stella nova in pede Serpentariiという書物にして出版した。書名の意味は、「へびつかい座の足の新しい星」である。ガリレオ・ガリレイは、これを、天動説を主張するアリストテレス派の学者との論戦に使用した。アリストテレスが信じた天動説では、天は不変なもので、星が増えたり減ったりするはずではなかったのである。この超新星爆発は、ティコ・ブラーエが観測したカシオペヤ座の超新星から32年しか経っていなかった。我々の銀河系またはその近傍で起こり、人類によって記録されたこれ以前の最後の超新星は、1054年に観測されたかに星雲の元となった超新星爆発である。また、ケプラーの星の次に観測された超新星は1987年に大マゼラン銀河で起こった超新星SN 1987Aである。
[編集] 由来
アポロンが、うっかり者(あるいは、うそつき)のカラス(からす座)の告げ口を本気にし、誤って自らの恋人コロニスを射殺した。そのとき腹にいた赤ん坊は、ケイロン(いて座)に育てられ、立派な医師アスクレピオスになった。蛇を持っているのは、蛇によって薬草の効用を知ったアスクレピオスが自分のシンボルにしたからだという。また、アスクレピオスが蛇毒を薬に使ったからだともいう。アスクレピオスはアルゴー号(アルゴ座)にも乗船し、名医として名高かったが、ついには死者をも蘇らせることができるようになり、冥神ハデスの怒りを買ったため、大神ゼウスの雷によって打ち殺された。その後、医師としての功績が称えられ星座(へびつかい座)となった。へび座はかつてはへびつかい座の一部だったが、プトレマイオスが独立させた。
[編集] 占星術
占星術の体系が成立して以来の伝統的な占星術と、現在の天文学とでは黄道や星座の扱いが異なる。現在の天文学では、太陽は一時へびつかい座の中を運行していることになっている。このため、黄道を十二星座で12等分した伝統的な体系でなく、現在の実際の黄道上にある13個の星座を用いた13星座星占いなども提唱されている。しかし占星術の分野で主流とはなっていない。
なお、この理由について、日本では「地球の歳差運動により黄道の位置が変わった為」と説明されることがあるが、これは明らかな誤り。以下に詳述。
[編集] へびつかい座を星座占いに入れたいきさつ
英国の天文学博士で作家のジャクリーン・ミットン(Jacqueline Mitton)が、1995年に考案したもの。 彼女が、「星座占いができた約2000年前は黄道上の星座は12個だったが、現代天文学に基づく星座区分では黄道上に13個の星座がある。 これを使用した占星術を利用すべき」 と発言したことが発端となり、へびつかい座を含めた13星座占いが考案された。
だが、これを聞いた鏡リュウジやルネ・ヴァン・ダール・ワタナベといった日本を含め世界の著名な占星術師は、彼女が占星術反対派の立場であること、またその発言に占星術に対する悪意が感じられたこと(考案がイギリスの新聞『デイリー・テレグラフ』に掲載された冗談記事)を察知し、このことに対し否定的な立場をとっている。
13星座説を唱える理由
古来,占星術(星座占い)と天文学は同一の起源であった。やがて占星術(星座占い)の星座と天文学の星座は別々の発展を遂げる事になる。英語では、占星術(星座占い)の星座(The Sign)と天文学の星座(a constellation)は全く区別されて使用される。 (日本でも「○○宮」という言い方をし、天文学の星座と区別する表現もある。)
「占星術(星座占い)における星座」は、古来から単に天の黄道を12等分した星座を用いていた。 現代においても、ほとんどの占星術(星座占い)で使用される星座は伝統的な黄道12等分方式を用いている。
しかし、「天文学における星座」は時代とともに変革があり、現在の星座は、1928年の国際天文学連合(IAU)により現在の88星座が定められ、すべての星座は赤経・赤緯の線に沿った境界線で区切られ、各星座の範囲を厳密に決められた。
この結果
- 黄道上のさそり座といて座の間にへびつかい座の部分が存在するようになった。
- 各星座の範囲と天の黄道の境界部分を全てをよく見ると、幅の広い星座や狭くなった星座もあり、1年を13等分ではなく、天の黄道における各星座の範囲とした点も13星座方式の特徴であり、したがって、星座ごとの日付けは均等に約30日ではなくなって、天の黄道上における幅の広い星座はそれだけ日数が多くなり、狭い星座は数日といった取扱いとなっている。
これを考慮した13星座による星占いを基本としている。
自転軸のズレについて
へびつかい座が黄道星座に加わったのは「自転軸がズレた」のが原因とする説があるが、これは天文学的に見てあきらかな誤りである。「自転軸のずれ」については、歳差現象のことを指していると思われる。歳差現象は前述のとおりへびつかい座が黄道上に来る理由とはならない。
- 歳差現象によりずれるもの
- (黄道そのものが天球上において南北にずれることは起こらない。)
- 現在、春分である3月20日前後の太陽の位置(春分点)はうお座付近にあるが、一般的な占星術(星座占い)では、3月20日前後はおひつじ座である。(なお反対の秋分点は現在はおとめ座にあるが、占星術ではてんびん座にあるとする。同様に夏至点は今はふたご座、昔はかに座、冬至点は今はいて座。昔はやぎ座。)。
- これは、数千年前につくられた当時、実際に春分点が当時のおひつじ座の周辺にあったためであり、これを現在でも使用しているためである。(ごれが現実の「春分点のずれ」の例である)
- 天文学者であるジャクリーン・ミットンが「自転軸のずれ」などという天文学の基礎的な部分で誤った知識を持っているとは考えにくく、歳差現象を理解していない日本人による勝手な解釈がいつのまにか博士の発言とされた可能性がある。(歳差現象や星座区分の歴史変遷を説明するより、「自転軸のずれ」と一言で言ったほうが受け入れられやすいという事も問題であるかもしれない)
日本では「蛇」という動物、およびそれを操る人といった一種神秘的なイメージのため、一部で受け入れられたのだと思われる。もしこれがたとえばはえ座であったら一般的にはならなかったと思われる。事実、くじら座の領域も黄道をかすめるが、ほとんど無視されている。
[編集] その他
- へびつかい座ホットライン(J.ヴァーリー)