R&D SPORT
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R&D SPORT(あーるあんどでぃーすぽーつ)は、日本のレーシングチーム。レーシングカーコンストラクターの東京R&Dの関連会社。
2001年より全日本GT選手権(現・SUPER GT)に参戦を開始する。当時のマシンはポルシェGT3Rで2台体制で挑んでいた。62号車をエースカーとし、もう1台の63号車はレイジュンとのジョイントによる参戦となった。前年ポルシェGT3Rの活躍を受けて性能調整が施された関係で苦戦を強いられたが、最終戦の第7戦でポールポジションを獲得した。だが、勝利を挙げることが出来なかった。
2002年も引き続き2台体制で参戦。62号車に関しては昨年までのポルシェGT3Rに変えて、イギリスのヴィーマック(VEMAC)と共同開発して制作されたヴィーマック・RD320Rを第2戦より投入。エンジンはホンダ・NSXと同じものが搭載された。いきなりポテンシャルの高さをアピールし、デビュー戦でパーフェクトウィンをやってのけてみせた。もちろんチームにとって初めての勝利となった。その後は速さをアピールしたものの、開発途上のマシンの為信頼性に欠けトラブルでリタイヤするケースが目立った。鈴鹿1000kmでの勝利を挟んで後半戦からは信頼性があがったものの、あまりにポテンシャルが高すぎてライバルとは桁違いの差があったため、度重なる性能調整が施されてしまう。しかしそれでもRD320Rは順調に勝利を重ねた。そして、最終戦では性能調整としてウェイト150㎏ととてつもない調整が施されてしまう。そのため、チャンピオン獲得はならなかった。この年の成績は、62号車はポールポジション4回、優勝3回。63号車は引き続きマシンの戦闘能力が低い為苦戦したものの、第3戦で混戦の中着実に順位を上げ、3位を獲得した。
2003年はGT500にステップアップを果たす。GT300には参戦しないものの、プライベータ-に前年参戦していた320Rを供給した。GT500への参戦にあたって昨年までの車を投入するのでは全く勝負にならないため、GT500用に新型マシンが製作された。それがヴィーマック・RD350Rであって、前年デビューウィンを飾った富士スピードウェイでデビューした。しかしGT500はGT300と違って、巨大な設備を持ったワークスチームが相手となるため、彼らに比べて設備面で劣り開発もそれほど早く進めることは出来なかったヴィーマックは、結果苦戦を強いられシーズンを通して上位に進出することは出来なかった。また350Rそのものが320Rと車体面で大きな差がなく、またエンジンもザイテック製のエンジンがリストリクターの関係でパワー不足であったことも原因であった。しかし、第4戦ではタイヤ選択のおかげでコースコンディションの変化に対応が出来、その結果8位を獲得した。
2004年は前年の苦戦を受け、専用マシンを新規に開発する必要があったため開発に専念することとなった。そのため、この年はフル参戦はしなかった。その代わりかつてジョイント参戦したレイジュンが前年の最終戦よりRD320Rで参戦。マシンメンテナンスを担当し、間接的ではあるがGT300に復帰した。マシン開発は順調に進み、秋頃にはマシンが完成しシェイクダウンが行われた。このマシンはヴィーマック・RD408Rという車で、エンジンはRD350Rのザイテックエンジンが非力であったことを反省し、新たにM-TECエンジン(MF408S)が搭載された。当初は翌年から参戦の予定だったが、先行的に最終戦にスポット参戦することになった。結果は序盤のアクシデントに巻き込まれたせいで上位に進出することは出来なかったが、大きなトラブルもなく完走した。
2005年はRD408RでGT500に参戦を予定していたが、急遽予定を変更し、2003年にGT500に参戦したRD350RをGT300に投入し参戦することとなった。しかし、アクシデントに巻き込まれたり、アクシデントの原因を作ってしまったこともあったため、思ったほどの活躍が出来ずにシーズンを終えた。
2006年は、RD350Rに代わって、GT300に2004年の最終戦にGT500でスポット参戦したRD408Rで参戦した。第3戦でチームとしては2002年の第7戦以来となる優勝を飾った。また第7戦より、前戦(鈴鹿1000km)を最後に活動中止となったディレクシブに代わってRD320Rを走らせることとなった。これは、ディレクシブでドライブしていた密山祥吾と谷口信輝のドライバーズランキングがトップであることから、このまま参戦継続しドライバーズタイトルを獲得しようということで、メンテナンスを請け負っていたR&Dがエントラントとなって参戦することになったのだ。監督には鈴木利男を新たに迎え入れ盤石の体制で残り3戦を戦う。これにより、新マシン名は「アネブルADVAN RD320R」となった。