CIMA (プロレスラー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
CIMA | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム | CIMA SHIIMA シーマ・ノブナガ 大島伸彦 |
本名 | 大島伸彦 |
身長 | 173cm |
体重 | 82kg |
誕生日 | 1977年11月15日 |
出身地 | 大阪府堺市 |
所属 | DRAGON GATE |
トレーナー | ウルティモ・ドラゴン ドス・カラス |
デビュー | 1997年 |
CIMA(しーま、1977年11月15日 - )は、DRAGON GATE所属の日本のプロレスラー。本名:大島 伸彦(おおしま のぶひこ)。大阪府堺市出身。173cm、82kg、O型。3人兄弟の末っ子。闘龍門の旗揚げメンバーであり、一期生でもある、DRAGON GATEの中心選手。そのプロレスセンスとお笑い芸人顔負けのマイクパフォーマンスで多くファンの心をつかんでいる。
目次 |
[編集] 経歴
中学生のころ、兄と見に行ったウルティモ・ドラゴンのプロレスをみて感動し、プロレスラーを目指すことになる。高校生の頃は部活にも入らず、トレーニングとバイトの日々。時にはバイトのために学校を休むこともあった。だが貯まりに貯まったバイトの資金も、夏休みに個人的にメキシコに飛んで「ミル・マスカラスのプロレス指導を受ける」という高校生にしてはありえないことを言い出し、メキシコへ。ドス・カラスから指導を受けるも、ほぼゼロになる。その後電話で話した母の声を聞くとホームシックにかかり日本に帰還するが、その後もプロレスのためのバイトとトレーニングを3年間続ける(この時非公認ではあるが、プロのリングでの試合も経験)。
その後ウルティモ・ドラゴンが立ち上げるというプロレススクール『闘龍門』の記事を見て一念発起。その一期生に応募するのだった。4人の枠の一期生のうちすでに旗揚げ以前からウルティモ・ドラゴンと面識のあった黒木克昌(現:マグナムTOKYO)、藤井達樹(現:ドン・フジイ)、諏訪高広(現:SUWA)の3名が決定しており、最後の1人を決める際に、ウルティモ・ドラゴンは知人である三遊亭楽太郎の夫人に選ぶように頼み、選ばれたのがCIMAである(夫人が「絶対この子よ!」と言ったとか言わないとか)。
伝説のユニット、C-MAX(クレイジーマックス)を一期生のSUWA、ドン・フジイとともに結成(その後TARUが加入し、4人体制に)、最年少ながらリーダーとなる。
CIMAは2000年に開催された第3回スーパーJカップにおいて、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れるもののジュニアの猛者の中、見事準優勝に輝き、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめることになる。
その後、M2Kやイタリアンコネクションと抗争を繰り返し、2004年闘龍門から独立したDRAGON GATEでも押しも押されもせぬエースとなっている。現在はC-MAXの後継軍団ともいえるブラッドジェネレーション(BGと表記されることが多い)を結成、ヒール集団として暴れまくる。
- TAKAみちのくとの抗争時には、TAKAのパスポートを焼くという暴挙に出た。
- 新日本プロレスの邪道なども通うジム、ミッドブレスにおいてトレーニングをしている。ここ2年ほどであきらかに体つきが変化している。
- 左膝が極端に悪い。
- クレイジーの初期、前髪をゼブラ模様にし、左目に大槻ケンヂのようなペイント、さらには黒のマニキュアをほどこしていた。いまは素顔に角刈りである。
- 最近何故かハングル語が書かれたリングシューズを履いている。
- ウルティモ・ドラゴンのインタビューによると、顔で言ったら間違いなく善玉(ベビーフェイス)なのだが、それだと当たり前でインパクトも無くなってしまう。だから、ヒールにした、との事。
[編集] リングネーム
大島が現在、過去に用いていたリングネーム
- 大島伸彦
- シーマ・ノブナガ
- SHIIMA
- CIMA(現在も使用中)
CIMAの名の由来は当時修行していたメキシコの人々がオオシマという発音がうまくできず、オッシーマとなってしまうことからとったされている。他に、当時兄が乗っていた車、日産のシーマがかっこ良かったから、という説もある。
[編集] 得意技
他の選手と同じ技を使いたくないという拘りを持っているため、数多くの高度なオリジナル技を持っている。
- ヴィーナス
- 相手をコーナーに座らせてのアッパー掌底(人魚をイメージした技らしいのだが、CIMAの勘違いによりマーメイドではなく、ヴィーナスになった)。
- アイコノクラズム
- コーナーに座らせた相手の両脇を抱え上げて、前方に放り投げる技。技名の由来はCIMAの好きなバンドBUCK-TICKの曲名から。相手の両腕を交差して投げるとゴリコノクラズムになる(ビデオ撮影時にゴリラを投げたことから発明)。
- また、これらの技はヴィーナスから連続して出すことが多い。
- マッドスプラッシュ
- その昔いたラブマシーンというレスラーが使っていた飛び技。開脚式のフロッグスプラッシュもしくはスーパーフライと言える。ヴィーナス→アイコノクラズム→マッドスプラッシュの一連の流れがCIMAの初期フィニッシュパターン。しかし、最近は膝を悪くしており、年に数回、大一番のときにしか見せないほどになっている。
- シュバイン
- ドイツ語で豚の意味の落とし技。レスリングのタックルの要領で担ぎ上げた相手をそのまま首から落下させる危険な技。ドンフジイと練習中に、タックルに行ったCIMAがたまたまフジイを持ち上げてそのまま頭から落としたことが誕生のきっかけと言われている。その後、より体重の軽い横須賀享を練習相手として完成させたといわれている説が一番有力であるが、それ以外にレスリング経験の練習生と練習で思いついた、また夢の中に出てきたなど、その開発経緯は諸説語られている。名前の由来はBUCK-TICKのメンバーのソロプロジェクトから。現在では相手の足を交差させ、リストクラッチをし、さらに危険度が増したシュバイン・レッドライン、担ぎ上げた状態のまま締め付けるシュバイン固め(CIMA曰くオリンピック級の技なので次に出すのは4年後)なる技も登場。
- パーフェクトドライバー
- 相手の足を交差させた状態でみちのくドライバーIIの要領で相手を逆さに担ぎ上げ、マットに叩きつける技。TAKAみちのくとの抗争時、みちのくドライバーIIに対抗するために作られた。
- トカレフ
- NOAHの丸藤正道が使うFrom コーナー to コーナー と同形だが、スワンダイブではなくセカンドロープに片足、トップロープに片足を乗せた状態からロープの反動をほぼ使わず飛ぶ。コーナーポストに逆さ吊りにした相手の顔面に向かって、隣のコーナーポスト最上段からミサイルキックを放つ。丸藤に技をパクられた事を根に持っており、その後From コーナー to セイム・コーナー(コピー禁止)というバリエーション技を開発した。しかしこれも丸藤にパクられてしまった。B×Bハルクと同時に行うトカレフ2丁拳銃という技もある。
- サルモネラ
- ジャンピング・パイルドライバーと同形の技。名前の由来は、彼が実際にサルモネラに感染した時あまりに辛かったことから。
- ナカユビ
- 相手にフロントネックロックを仕掛けるように手をまわし、そのまま相手の胴体を両足で締めるようにしてのDDT。開発当時、C-MAXと抗争を繰り広げていたYASSHIに対抗してこの技を開発した。これもBUCK-TICKの曲名から。
- ネジと橋
- パーフェクトドライバーの要領で相手を後方に投げる技だが、本人曰く「パーフェクトドライバーとはまったくの別物」である。名前の由来は「ネジって、ブリッジ(橋)をきかせて投げる」から。
- ドラッグボム
- パワーボムの要領で相手を担ぎ上げ、前方に相手を後ろ向きに一回転させながらマットに叩きつけるフェイスクラッシャーに近い技。日本逆上陸初期の頃に時折使用していた。
- コバクニ
- コーナーで両サイドのロープを掴んで体を水平に持ち上げ相手の頭を両足でキャッチし、ヘッドシザースホイップの要領で前方に回転しながら相手の頭をコーナーポストに打ち付ける技。小林邦昭との関係は不明。
- ブラド・シルク・ロード(元L.A.MART(エル・エー・マート))
- ルチャリブレでトケ・エスパルダスと呼ばれる丸め込み技。技名はCIMAの入場時に着用するネックチェーンなどを作っているアクセサリーショップの名前から。
- モナリザ・オーバードライブ
- トカレフの前方回転ミサイルキック。トカレフ同様スワンダイブでなくロープに昇るようにして飛ぶのがコダワリ。名前の由来はやはりBUCK-TICKのアルバム名。
- クロスファイヤー
- クロスアーム式の変型パワーボム。腕を完全にロックしているため受身がまったく取れない。マッスル・アウトローズとの抗争中に開発した新技。最初は「浜松バスター」(静岡の浜松の会場で初めて使われた技)という名前だったが、ファンの受けが悪く暫く「クロスアーム式変型パワーボム」と表記されていた。
- トルニージョ
- リング上で加速をつけてトップロープを越え場外の相手に体を預けていく飛び技。飛び越える際に両手でトップロープを掴み、それを利用して体を回転させながら相手にぶつかっていく。
- サソリ座固め
- サソリ固めと似ているが、クロスした相手の足の間には自分の足を入れない。変形のボストングラブ。
[編集] タイトル
- DRAGON GATE
- OPEN THE DREAM GATE
- OPEN THE TRIANGLE GATE
- 闘龍門
- UDG王座
- その他
- インターナショナルライトヘビー級王座
- UWA世界6人タッグ王座
[編集] その他
- 趣味は洗車。
- 2002年に愛車でうどん屋に突っ込んでしまう。車は大破するが店員や客にケガはなく本人も軽傷で済んだ。その後、「うどん屋にトペ・スイシーダ」としてネタにされている。
- メキシコ時代、練習後にシャワーを浴びていたら、着ていた服や靴を盗まれ、スパッツとサンダル一丁で合宿所代わりのアパートに帰る羽目になった。
- 阪神タイガースのファンとしても知られ、新井健一郎とともにテレビの阪神戦中継にゲスト出演したこともある。
- 第4回スーパーJカップに参戦した際は、現在はスペル・デルフィンの妻である早坂好恵のファンである事を公言し、その遺恨(?)からデルフィンと6人タッグで対決した。
[編集] 関連書籍
- OH! CIMA(新紀元社・ISBN 4775300997)
- ターザン山本監修、ドキュメントフォトブック。