B-1 (爆撃機)
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B-1 LancerはB-52の後継機として1965年にスタートしたAMSA(次期有人戦略機)計画によりロックウェル社によって開発され、米空軍で採用されている可変翼(VG翼)の戦略爆撃機。
大型爆撃機としては珍しい可変翼を採用し、15度から67.5度の後退角で幅広い速度領域をカバーしている。最高速度は、空気取り入れ口が可変式となっているA型でマッハ2.0、固定式となったB型ではマッハ1.25となっている。また、ステルス性を持ち、レーダーによる発見率は低いといわれている。
愛称は「ランサー(Lancer)」、一部の運用者達からは「B-ONE」→「ボーン」とも呼ばれている。
ロックウェル社の航空宇宙部門はボーイング社に吸収されており、現在はボーイング社が供給している。旧ソビエト連邦(ソ連)はB-1を参考にして、一回りサイズの大きいTu-160(Blackjack)を開発した。
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[編集] 沿革
B-1は、戦略爆撃機であるXB-70の開発が挫折したあと、超低空侵攻能力によって敵地奥深くまで侵攻し、核攻撃を行う必要があるとの戦略思想に基づき1970年代に開発が始まった。さらにソ連の先制核攻撃によって滑走路が一部破壊されても残った滑走路で離陸できるようにSTOL(短距離離着陸)性能も要求され、これらを満たすために可変後退翼が採用された。1977年6月、カーター政権下の軍縮によって導入が中止され、B-1Aによる試験飛行だけが続けられた。
1981年8月、レーガン政権による「強いアメリカ」政策によって計画が復活。この時には既に大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの大量配備により、大型長距離爆撃機による核攻撃という戦術は実情にそぐわなくなっており、B-1も要求仕様が大きく変更され、特徴であった搭乗員室ごとの分離脱出システムの廃止・エンジン用空気取り入れ口の変更による最高速度の低下(コスト減・ステルス性向上のため)を行いつつもB-1Bとして生産が開始された。B-1Bは1984年に初飛行し、100機が生産された。
B-1Bは、超低空侵攻による核/通常攻撃、通常の戦略爆撃、空中ミサイルプラットホーム、などの任務をこなす為に地形追随レーダーや、赤外線監視装置、ドップラーレーダーなどを搭載している。また、搭載電子機器も充実しており、ECMシステムなどを備えている。しかしながらエンジントラブルや搭載コンピューターとECMのミスマッチング(B1-BのECMは自身を妨害するなどと揶揄された)により、実線投入は遅れた。初の実戦投入は1998年の砂漠の狐作戦である。なお、B-1Bは第二次戦略兵器削減条約(START II)の対象となったため、現在配備されている機体は全て核兵器の搭載を行っていない。
[編集] スペック
- 全長: 44.5m
- 全幅: 41.8m (可変翼最大展開時)/23.84m(最後退時)
- 全高: 10.4m
- 翼面積: 181.16㎡
- 全備重量:216,400kg
- 空虚重量:86,000kg
- エンジン:GE F101-GE-102 ターボファン 4基(推力13,960kg)
- 最大離陸重量:217,000kg
- 爆弾搭載量:34,020kg(機内)/26,760kg(機外)
- 最高速度:マッハ1.2
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク