黒田重政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田 重政(くろだ しげまさ、享保19年(1734年) - 宝暦12年7月14日(1762年9月2日))は、筑前国福岡藩の第6代藩主黒田継高の嫡男。母の名、幼名は不詳。正室は薩摩藩主島津継豊の娘。初名は長堅。将軍徳川家重の偏諱を受けて重政と名乗る。名乗りは黒田家初期の当主たちにちなんだ部分もあるとされている。官位は従四位下、修理大夫。子は男子某と黒田治之の正室となった娘の二人が確認される。
1748年に従四位下、修理大夫に叙任する。しかし、1762年に父に先立ち29歳で早世したため、藩主とはならなかった。弟の長経も翌年に早世し、これによって如水・長政以来の黒田本家の血統は途絶えることとなった。
カテゴリ: 人名関連のスタブ項目 | 黒田氏 | 1734年生 | 1762年没