麻田剛立
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麻田 剛立(あさだ ごうりゅう、享保19年2月6日(1734年3月10日) - 寛政11年5月22日(1799年6月25日))は江戸時代の天文学者である。男性。
豊後国杵築藩(現在の大分県杵築市)出身。元々は綾部(あやべ)姓であったという。幼名は庄吉良で、名は妥彰(やすあき)。初め璋菴(しょうあん 表記は「正庵」とも)と、後に剛立と号した。
幼い頃に、影の動きから太陽が動いていることに気づき、天体に興味を持つ。その後「傷寒論」などを読み、独学で天文学と医学を学んだ。1763年に、当時使用されていた宝暦暦による暦に記されていない宝暦13年9月1日の日食を予言し、これによって名声を高める。1771年頃に豊後を離れて(脱藩という手段をとったが故に、追っ手の目を眩ますため、この時点で名を改めたという)大阪に行き、そこで医師を生業としながら天文の研究を続けた。望遠鏡や反射鏡などの観測器具を改良し、その研究は「崇禎暦書」を基盤とし、理論を実測で確認するという近代的なものであった。
弟子に高橋至時や山片蟠桃、間重富らがいる。また中井竹山・中井履軒兄弟や三浦梅園とも交流した。また、ケプラーの第3法則と同じ法則を独自に発見したといわれる。