高見山酉之助
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髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25日 - 1924年1月11日)は、大相撲の力士。
明治6年10月25日新治県海上郡(現在の千葉県銚子市)に生まれる。本名吉岡酉之助。
髙砂に入門し明治28年6月から番付に記載される。四股名は加増山(かぞうさん)
玉椿が大の苦手で割が組まれたと知れば布団をかぶってガタガタ震え出て来なかったという。
國技館(当場所のみ大相撲常設館と書かれていた)完成の明治42年6月場所には新大関太刀山峯右エ門に勝って7勝3分、史上初の幕内最高優勝(優勝額)力士となった。また、この場所から導入された東西対抗の優勝制度のなかで、彼が属した側が優勝し、関脇以下の最優秀成績でもあったために、優勝旗手の栄誉も得た。