高橋史朗
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高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、兵庫県たつの市(旧龍野市)出身の教育学者。本来の専攻は占領下の日本教育史であったが、その後感性教育、臨床教育学、ホリスティック教育学をも取り入れている。
早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻修士課程修了後スタンフォード大学で米国の教育政策を研究。
高校・大学在学中から新右翼生長の家学生連合(生学連)で積極的に活動。1980年代には、早稲田大、学習院大学などで盛んになった反憲学連(反憲法学生連合―「生長の家」系、生学連の後継組織)の理論的リーダーとして、憲法改定を主張するとともに、当時早大で久和ひとみらによるグループを起点に盛んになりつつあった反核素人学連(反核兵器素人学生連合)に対抗。このことが、のちに埼玉県教育委員任命に際して、教科書監修者であることとならび、委員としての適格性を欠くのではないかという批判の論拠の1つとされた。
ホリスティック教育が伝わると自説との共通性に注目。また福岡県では、教員志望者のための塾の顧問活動もしている。
ジェンダーフリーの批判者として知られ、また、現在の性教育を性器教育に走っているとして激しく批判するが、その際統一協会などが主導する純潔運動に賛同する発言があり、その論拠として「コンドームにはエイズウィルスの50倍の大きさのピンホールが存在する可能性があるため、その使用ではエイズ予防はできない」という不正確な主張が見られ(ウィルスは0.004mmであり、その50倍は0.2mmであるため、少なくとも今日の品質管理を前提にするかぎり、明らかな間違い)、フェミニストやリベラリズムの立場に立つ人などからも批判されている。
日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)において「桜塾講座―第三の教育論」で講師、「桜ジャーナル「教育最前線」」でキャスターを務める。
2004年12月に上田清司埼玉県知事に招聘され、埼玉県教育委員会の委員に任命された。上述のようなイデオロギー的理由に加え、「新しい歴史教科書をつくる会」の役員でもあり、扶桑社版教科書監修者でもあったため、“教育委員という教科書採択に関わる立場として特定の教科書の関係者が加わることは不適切である”(地方教育行政法違反の疑い)として日教組、出版労働者、教育学者、歴史学者、日本共産党・社会民主党、さらに歴史修正主義批判を唱える高橋哲哉らが結成したグループなどが抗議運動を行ったが、上田は、高橋が監修者から名を外すことで、予定通り人事を行った。着任後も、2005年8月に行われた教科書採択においては、高橋は当該科目の採択において退席するという配慮を行い、結局扶桑社版は採択されなかったが、任命に反対した側からの辞任要求の抗議キャンペーンはなお続いている。
鼻の下と口元と頬に轟々と生い茂る髭がトレードマーク。
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[編集] 学歴
- 早稲田大学大学院人文学研究科修士課程修了。教育学修士号取得。
[編集] 職歴
[編集] 役職
[編集] 著書
- 『感性・心の教育』(全5巻。ISBN 4180281171、ISBN 4180282119、ISBN 4180283158、ISBN 4180284197、ISBN 4180285134)
- 『臨床教育学と感性教育』(ISBN 4472112418)
- 『感性を活かすホリスティック教育―いじめ・不登校を克服し、子どもの「いのち」を救う』(ISBN 4892053953)
- 『歴史教育はこれでよいのか』(ISBN 4492221530)
- 『間違いだらけの急進的性教育』黎明書房、1994年
- 『検証・戦後教育―日本人も知らなかった戦後50年の原点』(ISBN 4892053821)
- 『歴史の喪失―日本人は自らの歴史教育を取り戻せるのか』(ISBN 4893465597)