高崎一郎
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高崎 一郎(たかさき いちろう、1931年5月13日 - )は、司会者。元ニッポン放送プロデューサー・パーソナリティ。現三越顧問。血液型はB型。
[編集] 来歴
ニッポン放送時代に担当した「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティの一人だった。そのスマートな語り口が支持を集め、「奥様、お嬢様が泣いて喜ぶ高崎一郎」などの名文句で人気を博した。
オールナイトニッポンのテーマソングとして有名なBITTERSWEET SAMBAについては、彼の担当日が放送初日であり、スタッフが本来はA面の曲(ティファナ・タクシー)をテーマ曲としてかける筈が、間違えてB面の曲をかけてしまった。しかし、高崎が「この曲のほうがよいのでは」と強く推薦したために、以降テーマソングはこの曲に変更されたという逸話がある。
ニッポン放送の前社長・亀渕昭信は、学生時代に高崎の家でレコード整理等のアルバイトをしていて、働きぶりが非常に良かったため、卒業時に高崎の強い推薦でニッポン放送に入社した。
当時のニッポン放送社長・石田達郎に対し、カセットテープの普及に伴い音楽テープを中心とした音楽産業が必ず伸長すると吹き込み、音楽産業への進出を強く進言。フジパシフィック音楽出版、ポニーキャニオンの発足に繋がる。
放送媒体を利用した通信販売に着目し、1970年10月1日にフジテレビにて実験番組・「東京ホームジョッキー」(翌年に系列局へのネットに伴い「リビング4」に改題<1975年に更に放送時間移動に伴い「リビング2」に改題>)を開始。フジサンケイグループのリビング路線(サンケイリビング新聞・ディノス・ESSE)への基盤を築く。現在の三越顧問の職は、日本において放送メディアを活用した通信販売を世に広めた功績を買われたものである。
フリーに転向後、「リビング2」「リビング4」の流れを汲むと思われるテレビ東京「レディス4」のメインキャスターを長年務めたが、体調不良を理由に2003年2月28日放送分をもって、惜しまれつつ降板した。
[編集] 出演番組
- 高崎一郎のオールナイトニッポン (1967年10月~1968年8月、ニッポン放送)
- オールナイトフジ (1969年~1975年、フジテレビ)
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