長崎男児誘拐殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎男児誘拐殺人事件(ながさきだんじゆうかいさつじんじけん)とは、2003年に、長崎県長崎市で発生した、男児が誘拐され殺害された事件。
目次 |
[編集] 状況
2003年7月1日午後7時頃、ヤマダ電機テックランド長崎本店に家族で買い物に来ていて、一人でゲームコーナーで遊んでいた当時4歳の男児に対して、加害者の当時中学1年の少年が「お父さん、お母さんに会いに行こう」と騙し連れて行く。路面電車に乗車、商店街を連れ回した後、長崎市万才町の築町パーキングビル屋上で男児を全裸にし、腹などに殴る蹴るの暴行を加えた。さらに、ハサミで性器を数箇所切り付けた。だがその時、ビデオカメラが設置されていることに気づいてパニックになり、泣き叫んでいた男児を「何とかしなければ」と思い、屋上から突き落として殺害した。
その後7月9日に、加害者の少年が補導された。少年は12歳だったため、逮捕することができなかった。この事件以前にも少年は、この事件と類似した異常性欲的事件を20件以上引き起こしていた。なおこの事件に関しては、イギリスで1993年に起きたバルジャー事件についても多く報道された。また、少年が「自分も子どものころに大人の男の人におなじようなことをされて大丈夫だったから、平気だと思った」と述べ、本人が性的虐待を受けていたことも一部で話題となった。
加害者が、中学1年の少年であったため凶悪な少年事件として国内を震撼させた。加害者の少年は、「男児の性器に対する拘りを払拭することは出来ない」と述べており、児童自立支援施設を出所できないまま、中学校を卒業した。
[編集] 家庭裁判所の審判
長崎家裁は審判にあたり、専門家チームによる2カ月間の精神鑑定を実施した。
その結果、少年の特質として①パニックになりやすい②対人共感性、対人コミュニケーション能力が乏しい③母親を異常に恐れていると分析。一方、学校の成績は優秀だった(特に数学は学年トップクラス)など知能面での障害がないことから、少年をアスペルガー症候群であると診断した。
だが、家裁はアスペルガー症候群について「事件に影響はしたが、理由ではない」と慎重な断りを入れた上で、直接的な背景は「中学校に進学して環境が激変したこと」「両親の不仲が続き、心理的負担が大きかったこと」などを列挙。そして「当日、帰宅が遅れたことを母親に叱責されるのを恐れて」緊張状態のまま家を離れたことが引き金になり、従来から抱いていた男性性器への関心が強迫症状として表れたと認定した。
これらを踏まえ、家裁は児童自立支援施設への収容と最長1年間の強制措置(鍵付きの部屋に入れられる)を認め、少年は2003年9月、国立武蔵野学院へ入所した。強制措置についてはその後1年ごとに再検討が行われているが、2006年9月の際も「改善が見られない」として3度目の延長がされている。
[編集] 影響
加害者の補導後、加害者がアスペルガー症候群との診断を受けたことから、西日本新聞は、「加害少年は自閉症」と1面トップで報道した。これに対し、日本自閉症協会は、「自閉症に対する偏見を助長しかねない」「自閉症と事件に因果関係はない」と抗議声明を発表。特に全国にあるアスペルガー症候群の子をもつ保護者の会の反発は強く、各報道機関に「アスペルガーという名称を使用しないでほしい」と要望する出来事まで起きた。
一方、アスペルガー症候群への理解を深めるための本が出版されたり、「自分はアスペルガー症候群」と名乗る人が出たりして、社会的な関心が広まったという側面もある。
また、この事件を契機に、保護者や教育関係者の警戒心が高まった。
[編集] その他
被害男児が殺害された現場の近くには、事件後しばらくしてから何者かにより地蔵が設置された。現在この地蔵は実質上の慰霊碑的な役目を果たしている。
また、被害男児の命日には毎年多くの人が冥福を祈りに訪れ、お供え物を置いていくため長崎市は遺族側の了承を得てこの時期のみ献花台を設置している。