鈴木博美 (陸上競技女子選手)
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鈴木 博美(すずき ひろみ、現姓伊東、1968年12月6日 - )は、1990年代に活躍した陸上競技女子選手。1992年バルセロナオリンピックと1996年アトランタオリンピックは女子10000m代表として出場。1997年のアテネ世界陸上選手権女子マラソンでは金メダルを獲得した伝説の名ランナーである。有森裕子はチームの先輩、高橋尚子や小出正子は後輩にあたる。夫は100m日本記録保持者で甲南大学助教授の伊東浩司。2005年に長男が誕生、現在一児の母親でも有る。福島県出身。
[編集] 経歴
名将小出義雄に素質を見出され、早くから活躍。陸上競技の名門校である千葉県の市立船橋高校を卒業後、リクルートを経て積水化学に所属。
1992年、バルセロナオリンピック女子10000m代表に選ばれたが、直前の足の故障により予選落ちに終わる(決勝進出の真木和は12位、五十嵐美紀は14位)。その3年後の1995年、イエーテボリ世界陸上女子10000mの代表に選出。鈴木にとって初めての世界陸上であったが、本番の10000mでは予選も決勝も終始落ち着いた走りを見せる。その決勝レースでは中盤優勝争いからは脱落するもマイペースを維持。そして終盤鈴木はペースを上げると順位が上がっていき、結果8位入賞を果たす快挙を成し遂げた。
翌1996年、アトランタオリンピックの選考レースである大阪国際女子マラソンに初めてフルマラソンに出走した。前半のややスローなペースには楽につき、後半のペースアップにも対応していたが、優勝したドイツのカトリン・ドーレの終盤でのラストスパートにはついていけず、惜しくも2位だった。ゴール記録は同五輪選考レースの最高タイムであったが、負けた事とマラソンの実績が乏しかった理由により、女子マラソン代表は落選となった(奇しくも女子マラソン三番目の代表は、同じリクルート所属の先輩である有森裕子と競り合う形となった)。
同年の日本選手権では女子10000mに出場、長距離トラックでの五輪出場へ方向転換を図る。レース後半は同じく10000m代表となる千葉真子、川上優子とのデッドヒートとなるが、最後は鈴木がわずかに抜け出して優勝、当時の日本新記録を樹立した。これによりアトランタ五輪女子10000m代表に選出された。五輪本番では予選は余裕に通過したものの、決勝はレース前半で早くも遅れ始めて入賞争いに加われず、結局16位に終わった(他千葉真子は5位、川上優子は7位と、二人同時入賞の好成績となる)。
翌1997年、アテネ世界陸上女子マラソン代表を目指して、名古屋国際女子マラソンに出走。初マラソンの大阪よりもかなりのスローペースとなり、記録よりも勝負だけのレースとなる。後半ペースが上がると鈴木はなんとかついていき、ゴール直前は優勝したロシアのマディナ・ビクタギロワとの一騎打ちとなったが、瑞穂陸上競技場へ入ると同時に徐々に離され、再び2位となった。しかし同年より世界陸上のマラソン代表は1か国最大3人から5人と増えたため、鈴木の念願だったマラソンでの世界代表入りを果たした(鈴木の後輩である高橋尚子も後に女子5000mで初の世界代表入りとなる)。
1997年世界陸上選手権女子マラソンでは、酷暑の厳しい気象条件のレースとなった。しかし鈴木は走っている最中、暑さは全く感じなかった、という。下り坂を走るのが苦手である鈴木は、32Kmから延々続く下り坂の手前、上り坂が続く途中の28Kmでスパートをかける。すると他の選手達は誰もついていけず、その後鈴木の独走となる。その後も鈴木の持ち味であるスピードは全く衰えずに快走し、見事優勝。世界陸上では1993年の浅利純子以来、日本女子としては二人目の金メダリストとなった。なお、翌1998年2月の長野オリンピック開会式では、最終点火者の伊藤みどり(女子フィギュアスケート五輪銀メダリスト)へ聖火をつなぐ、聖火ランナーの大役を務めている。
それから3年後の2000年シドニーオリンピックで、再びマラソンでの五輪出場を狙い、1999年の東京国際女子マラソンに出走する。しかし、レース序盤からハイペースで飛ばす山口衛里、千葉真子に全くついていけなかった。その後も先頭を走る山口との差は開く一方となり、結局9位に終わる。ゴール後鈴木は医務室へ運ばれたが、両足には血マメが潰れ、かなりの出血でシューズの中と靴下が真っ赤に染まっていた。鈴木はその後の女子長距離トラック競技の選考会へも結局エントリーせずに、シドニー五輪代表入りを断念。3大会連続の五輪出場はならなかった。
2001年、短距離のスペシャリストであった伊東浩司との結婚を機に、陸上競技選手からの第一線を退いた。その後暫くは、各地のレースにゲストランナーとして出場するなどの活動をしていたが、長男出産後は主婦業に専念している模様である。
[編集] 主な成績
- 1992年08月 バルセロナオリンピック女子10000m 34分29秒64/予選落ち
- 1995年08月 イエーテボリ世界陸上選手権女子10000m 31分54秒08/8位入賞
- 1996年01月 大阪国際女子マラソン 2時間26分27秒/2位(初マラソン、自己最高記録)
- 1996年06月 日本選手権女子10000m 31分19秒40/優勝(当時日本新記録)
- 1996年07月 アトランタオリンピック女子10000m 32分43秒39/16位
- 1997年03月 名古屋国際女子マラソン 2時間29分36秒/2位
- 1997年08月 アテネ世界陸上選手権女子マラソン 2時間29分48秒/優勝(金メダル獲得)
- 1999年11月 東京国際女子マラソン 2時間31分29秒/9位