近鉄18000系電車
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18000系電車 (18000けいでんしゃ) とは、1965年に登場した、近畿日本鉄道の京都線・橿原線系統用特急形電車である。
1964年に運行を開始した、京都-橿原神宮駅(現・橿原神宮前)間の特急 (京橿特急) を増強するため、旧型車の制御装置やモーターを流用して新造した車両である。
京橿特急には運行開始当初、京都線の前身である奈良電気鉄道から引き継いだ車両を改造した680系が使われていたが、予備車が少なく、代替として吊掛駆動・非冷房の車両が使われることもあり、設備面では難があった。本系列は京都線系統では初めての本格的な特急車となった。
形式名は当時の奈良・京都・橿原線用通勤車の番号割り当てが8000番台であった事から、これに特急車であることを示す10000を足して18000系とされた。
2両固定編成(モ18000(奇)-モ18000(偶))2編成が2回に分けて1965年と1966年に、近畿車輛で製造された。
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[編集] 特徴
車体は当時、車両限界の狭かった京都線や橿原線での運行のため、車体幅は2590mmに抑えられ、全長も18640mmという中型車であった。形状は、同じ1965年に登場した南大阪線系統の16000系に準じているが、裾部の絞りがない。前面は当初、併結を行わなかったため貫通扉に幌を設置しなかったが、昇圧時に取り付けられている 。また、連結器は運転台側が日本鋼管NCB-II形密着自動連結器、非運転台側は棒形連結器であった。特急標識は当時標準の大型タイプである。
車内設備は、車体幅の関係で11400系と同等とは出来ず、680系同様に転換クロスシートを採用しているが、狭い車内で最大限に座席幅を確保すべく、2250系からの流用ではなく新設計品が採用された。内装のカラースキームは16000系に準じており、のちに11400系と同様になった。車端部には、奇数車が車内販売の基地、偶数車に便所・洗面所が設置された。冷房装置は、11400系などと同じ東芝製のRPU1103(冷凍能力4500kcal)ユニットクーラー5基による分散式である。
その反面、性能面では旧型車(モ600形)を電装解除して捻出した機器を流用したため、吊り掛け式の三菱電機製MB-213AF[1]を主電動機として装備する全電動車方式となった。この際、在来の680系や800系などが採用するABFM制御器+MB-3020系カルダンモーターという組み合わせを選ばなかったことについて疑問が残るが、これは予算の問題もさることながら、600V線区では定格出力が110kWに抑えられるMB-3020系では重装備の特急専用車体と組み合わせた場合、MT比1:1では特急車として十分な走行性能が得られないために断念されたもので、計画当初からショートリリーフとして短命に終わることを念頭に置いて設計されたものであった。
このため、全電動車方式であるにもかかわらず既存の680系と比較して走行性能[2]で見劣りし、近鉄特急車としては最後の吊掛駆動車となった[3]。
主要機器の流用元は順に623・635・631・633で、制御装置はモ600形から流用した三菱電機製HLFを各車に搭載し、電制は装備していない。これに対し、台車はともに新品の近畿車輛製シュリーレン式台車で、第1編成はコイルバネ式のKD-55であったが、第2編成は空気バネ式のKD-59となった。
電装品は600V仕様であったが、1969年の架線電圧1500V昇圧に際して主要機器の大改装が実施され、種車である600系同様に三菱電機製AB-195-15H制御器を新製して奇数番号車に集約搭載の上で1C8M制御化するなどして対応した。なお、この際電動発電機は奇数車に、空気圧縮機は偶数車に集約搭載とされている。昇圧後のモーターの定格出力は140kWで、理論計算通りの出力アップとなっており、680系との性能差は縮まっている。パンタグラフは680系同様に昇圧前も昇圧後も同様に各車の橿原神宮前寄りに1基搭載で、これは18200系にも継承された。
ブレーキ(制動)方式は昇圧後もAMA-R自動空気ブレーキのままであったが、680系が名古屋線へ転属し、AMAブレーキ装備の400・600系の淘汰が急速に進められた1974年にHSC電磁直通ブレーキ(空気制動のみ) へ改造されている。但し、改造後も抑速ブレーキ機能がなくまた性能的に見劣りしたため、京伊特急には充当できなかった。このため、原則的には京橿特急および京奈特急(京都-近鉄奈良間)として限定運用されていた。また天理教大祭の際には、680系とともに京都-天理間の臨時特急に用いられることが多かった。新造された車体の車内居住性[4]はともかく、旧型車の機器を流用した吊掛駆動車であるがゆえに高速性能に多少無理があったようで、余裕の無い走りが印象に残る車両であった。
[編集] 廃車
1982年に老朽化と、吊掛駆動で他系列との併結が出来ないために廃車・解体され現存しない。代替には12600系が導入された。晩年は第1編成と第2編成を連結して4両固定で使用されることが多かったため、12600系は2両編成でなく4両編成で製造された。
機器の老朽化という事情もあったが、登場からわずか18年の短命に終わっている。これについては、通勤車の1000系と同様にカルダン駆動化、車体更新での延命という方法もあった筈であるが、他形式と足並みを揃えるには制御器・主電動機・それに台車(吊掛式主電動機に対応する従来の台車は、そのままではカルダンモーターに対応できない)を交換する必要があり、また、後続の京都線特急車である18200系でさえ座席の狭さやリクライニングできないことについて苦情が寄せられていた事を考えると、もはやその歴史的役割を終えた狭幅18m車体をわざわざ生かすためにコストを費やすよりは、標準タイプの20m級新造特急車で代替する方が乗客サービス・輸送力増強・保守の効率化・運用・予約発券のすべての点で望ましいという判断がなされたものと思われる。
[編集] 脚注
- ↑ 端子電圧600V時定格出力112kW/755rpm。
- ↑ 起動加速度1.8km/h/s 平坦線釣合速度105km/h。
- ↑ 完全な新車では1958年製造の名古屋線用6431系が最後の吊掛駆動車である。
- ↑ 居住性の点では18200系と大差なく、また固定窓であったため、吊掛駆動車といってもそれほど騒音は気にならない、というレベルで、周囲はともかく乗客にとっては特に印象に残らない車両であった。