貴乃花部屋
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貴乃花部屋(たかのはなべや)は、第65代横綱貴乃花の一代年寄貴乃花が師匠を務める相撲部屋である。2004年2月1日、二子山部屋を継承する形で誕生した。
二子山部屋(ふたごやまべや)は1962年、元横綱初代若乃花幹士が創設。定年直前の1993年2月に実弟元大関貴ノ花の藤島部屋と合併した。直後の1993年(平成5年)3月場所は幕内力士10人(参照)、1998年(平成10年)7月場所には2横綱1大関を抱えた。
しかし、その後は若い力士が育たず、貴乃花が部屋を継いで間もなく十両の五剣山が幕下に陥落。さらに2004年5月場所には元大関・貴ノ浪が引退、2006年11月場所には元十両・五剣山が引退、現在は関取経験者は一人もいない。外国人や学生相撲出身の力士が台頭する中で、貴乃花自身が経験してきた昔ながらの叩上げ教育を軸に若手を育てている。これまで貴乃花は自分の自宅から部屋に通う形で弟子を指導してきたが、2005年8月に入り、自らも部屋に住み込んで弟子と生活を共にするようになった(おかみさんの景子夫人は同居していない。一説には子供の養育方針などの理由から、相撲部屋が家と共になることを嫌悪しているためと言われている)。
蛇足ではあるが、貴乃花部屋になってからは年を追うごとに在籍力士数が減少しており、部屋の運営状況は悪化の一途を辿っている。また、2005年(平成17年)3月場所以来、入門者がいない。これらの事から、貴乃花部屋の存亡を危ぶむ声は絶えず上がっている。2006年(平成18年)九州場所前には3人の力士が引退し、現在は力士7名の小部屋となり、かつて隆盛を誇った部屋の面影は全くない。
目次 |
[編集] 師匠
- 二子山
- 若乃花幹士 (初代)(元横綱・青森)
- 貴ノ花健士(元大関・青森)
- 貴乃花
- 貴乃花光司(元横綱・東京)
[編集] 横綱・大関
- 横綱
- 若乃花幹士 (2代)(56代・青森)
- 隆の里俊英(59代・青森)
- 貴乃花光司(65代・東京)(藤島から)
- 若乃花勝(66代・東京)(藤島から)
- 大関
[編集] 幕内
- 関脇
- 小結
- 平幕
[編集] 十両
- 十両
- 五剣山博之(香川)(藤島から)
[編集] 所属年寄
- 音羽山(おとわやま/元・貴ノ浪)
- 常盤山(ときわやま/元・隆三杉)
[編集] 行司
- 34代式守伊之助(北海道)
[編集] 1993年3月場所の幕内番付
東 西 貴ノ花 大関 関脇 安芸ノ島 若花田 小結 若翔洋 貴ノ浪 前1 前3 三杉里 隆三杉 前6 豊ノ海 浪ノ花 前7 貴闘力 前12
注:四股名は当時、関係分
[編集] 外部リンク
[編集] 旧二子山部屋
大正時代に、友綱部屋の幕内土州山役太郎が独立して部屋を創設し、元大関伊勢ノ浜の中立部屋が師匠の死去で閉鎖されたときに、後の幕内灘ノ花、銚子灘らを一時預かり(彼らはその後出羽海部屋に移籍)し、幕内土州山好一郎を育てた。高知県出身ということで、同郷の横綱玉錦三右エ門の露払いなどをつとめた。引退して年寄大嶽を襲名し部屋は興さなかった。二子山親方は昭和22年限りで部屋を閉じた。
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