西武新宿駅
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西武新宿駅(せいぶしんじゅくえき)は、東京都新宿区歌舞伎町一丁目にある西武鉄道新宿線の起点駅である。
この駅は他社の新宿駅とは離れたところにあり、新宿駅からみて靖国通りをはさんだ北北東に位置する。通常、「新宿駅」とは呼ばれない。駅の隣は日本を代表する歓楽街である歌舞伎町に面している。
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[編集] 駅構造
[編集] 全体
西武鉄道は新宿線を国鉄(当時)の新宿駅付近に乗り入れさせることを構想していてそのため長い間、仮駅となっていた。また、1964年に開業した国鉄新宿駅ビル「マイシティ」の2階は西武線乗り入れを考慮した構造となっていた。しかし乗り入れ計画は実現しないまま1977年3月3日に現在の西武新宿駅駅ビルが完成し、以来現在でもPePe西武新宿(1~8階)・新宿プリンスホテル(それより上)、アメリカン・ブルバード(1、2階)が入っている。なお、北口から南口までの間の歩道には、米国各地および西武グループの施設があるリゾート地の方角を示したタイルが埋め込まれている。
地下で接続する「新宿サブナード」は、駅ビル完成以前の1973年にすでにオープンしており、2003年に30周年を迎えた。
2005年にバリアフリー化工事を実施し、車椅子利用者のためのスロープの整備を進め、同年11月に南口正面からPePe内のエレベーターを使って2階コンコースに出られるようにした。PePeの2階とコンコースの床面に段差があるため、コンコースから地上に下りる階段を一部縮小して、PePeからコンコースまでのスロープを新設した。また、コンコースと改札口間にもスロープがあったがこれも同時に改修、また有人改札口をカウンター式(池袋駅や田無駅などにも見られる)に改装した。2005年11月からは続けて南改札前の便所のバリアフリー化改築を行っている。
駅舎はプリンスホテル側の南口がメインで初電から終電まで利用できるが、高田馬場寄りの北口は終電後、朝7時まで閉鎖され、利用者の数には大幅な差がある。
冒頭にも書いたが、西武新宿駅はJR、京王、小田急、都営地下鉄新宿線の新宿駅とは離れていて連絡業務を行なっていない。そのために西武新宿線の沿線から新宿駅へ行くには一つ手前の高田馬場駅で山手線に乗り継いだ方が格段に便利である。しかし、東京地下鉄丸ノ内線の新宿駅、都営地下鉄大江戸線の新宿西口駅とは比較的近いために接続業務を行なっている。
[編集] ホーム
2面3線の頭端式ホームである。1番ホームは相対式、2・3番ホームは島式になっている。いずれも10両編成に対応する。
[編集] のりば
1 | ■新宿線 | 普通 (早朝・深夜は2・3番ホームを使用) |
高田馬場・田無・所沢・本川越方面 拝島線直通 玉川上水・拝島方面 |
2 | ■新宿線 | 特急・快速急行 | 高田馬場・田無・所沢・本川越方面 |
急行・準急 | 高田馬場・田無・所沢・本川越方面 拝島線直通 玉川上水・拝島方面 |
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3 | ■新宿線 | 快速急行 | 高田馬場・田無・所沢・本川越方面 |
急行・準急 | 高田馬場・田無・所沢・本川越方面 拝島線直通 玉川上水・拝島方面 |
※なお、発着列車は原則で、朝ラッシュ時や早朝深夜などに変わる場合がある。
[編集] 駅周辺
[編集] 南口
- 新宿繁華街が広がっている。
- 西武新宿駅ビル
- 新宿通り(東京都道430号)
- 新宿大ガード
- 歌舞伎町
- 靖国通り(東京都道302号)
- 新宿サブナード(西武新宿駅と新宿通り地下連絡通路とを結ぶ地下ショッピングモール)
- 新宿伊勢丹メンズ館
- 丸井(MEN)
- 花園神社
- 新宿区役所
[編集] 北口
- 歌舞伎町
- 職安通り(東京都道302号)
- ハローワーク新宿(歌舞伎町庁舎、職業紹介は新宿駅西口のエルタワー23階で行う)
- 財団法人東京都保健医療公社大久保病院
- 新宿労働基準監督署・都税事務所
[編集] バス
南口靖国通り沿いの「歌舞伎町」停留所が最寄りである。すべて都営バスにより運行。
- 東行き
- 西行き
- 品97(プロムナード)・宿74・宿75・白61・早77系統 新宿駅西口
又、少し離れた「新宿駅東口」バス停からも下記都営バスが利用出来る(プロムナード実施中は、「歌舞伎町」バス停を利用)
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- 早77系統 早稲田 行
- 品97系統 品川駅 行
[編集] 歴史
もともと同駅周辺は角筈と呼ばれた地域。同駅の場所には都営バスの新宿車庫があった。
戦後、西武新宿線(当時は単に「西武線」もしくは「西武村山線」と呼ばれた)を高田馬場駅から新宿駅まで延伸することとなり、取り敢えず同駅まで開業し、あとは新宿駅東口の再開発を待っていたのだが、新宿ステーションビル(現在のマイシティ)に用意された同線新宿駅のスペースが狭かったため(ホーム長が6両編成分しかなかった)、延伸メリットがないと判断したのか結局西武新宿駅止まりとなってしまった。
戦時中に当時の武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)や西武鉄道(初代。現在の西武新宿線など)が五島慶太などによって大東急の一部に組み込まれそうになったが、西武側が抵抗した為実現しなかった。そういった経験があったことにより社長の堤康次郎が、他会社との接続を嫌って延伸されなかった、という説もある。(出典:中島忠三郎『西武王国―その炎と影』)
西武新宿駅(角筈)~新宿駅間はもともと同社が1951年まで所有していた新宿軌道線(西武軌道線。新宿~荻窪間・のちの都電杉並線)の休止区間を東京都に譲渡せずそのまま免許線として保有し、また軌道も長年放置されていた。この軌道跡の所有権を根拠に、ゆくゆくは新宿駅まで延伸する計画であった。
[編集] 隣の駅
- 西武鉄道
- ■新宿線
- 全列車
- 西武新宿駅 - 高田馬場駅
- 全列車
[編集] 利用状況
- 1日あたりの乗降客数(2005年度)
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- 195,171人(西武鉄道全駅中、池袋駅・高田馬場駅に次いで、第3位の利用客数である)