藤原あき
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藤原 あき(ふじわら あき 1897年8月10日 - 1967年8月8日)は、日本のタレント、元自由民主党参議院議員。旧姓は中上川(なかみがわ)、のち宮下。筆名、柳園子。
山陽鉄道の創設者で三井財閥の元老である中上川彦次郎の庶子。女子学習院に学ぶ。1913年、16歳のとき、一度の見合いもなく東京京橋の開業医と強制結婚させられ、宮下姓となる。
夫との間に二子を儲けたが、1927年9月、テノール歌手藤原義江と恋に落ちる。のち夫と離婚し、1928年、藤原を追ってミラノに旅立ち、1930年に藤原と結婚して、世紀の恋と謳われた。
夫人として藤原を支え、藤原歌劇団の育成に尽力したが、1953年に離婚、美容部長として資生堂に勤務。1955年、NHKの人気番組「私の秘密」のレギュラー出演者として人気を呼ぶ。
この人気に目をつけた自民党の推薦を受けて、1962年の参院選に全国区から立候補したところ、116万票の大量得票でトップ当選し、その後続々登場するタレント議員のはしりとなった。自民党藤山派所属。任期半ばの1967年、癌のため死去した。