英虞郡
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英虞郡(あごぐん)は、三重県にあった郡。 現在の志摩市の南側、志摩町、大王町、阿児町の南側、浜島町、度会郡の南勢町から尾鷲市に至る地域にわたる。 養老三年(719年)に志摩郡から分かれ、「佐芸郡」(さきぐん)と呼ばれていたが、天平十七年に平城京から出土した木簡に初めて英虞郡の名前が登場する。
このあたりは海産物の産地で平安時代には伊勢神宮の御厨(みくり)があった。 ここで作られた熨斗アワビを御師(おんし)と呼ばれる伊勢神宮への旅行を補佐する人達が縁起物として配った物が、一般に配る熨斗あわびの始まりである(国崎の熨斗アワビは神宮へ奉納するための物であった)。
[編集] 明治以後
- 明治22年4月1日 町村制施行(12村)
- 鵜方村・甲賀村・立神村 (阿児町 → 志摩市)
- 波切村・船越村 (大王町 → 志摩市)
- 和具村・片田村・布施田村・越賀村・御座村 (志摩町 → 志摩市)
- 浜島村・三和村 (志摩市)
- 明治27年2月13日 三和村が志島村・名田村・畔名村に分割された。(14村)
- 明治29年3月29日 答志郡と合併して志摩郡となった。
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