花籠部屋
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現部屋は、二子山部屋の元関脇太寿山忠明が、東京都内では地価が高騰しすぎて(バブル崩壊直後でまだ高かった)資金面がネックとなり用地が確保できなかったため、1992年(平成4年)10月1日山梨県初の相撲部屋として上野原町に創設。しかし、他部屋への出稽古や新規入門者の相撲教習所通学に支障をきたしたため、1998年(平成8年)墨田区に移転。
しかし、上野原町での創設をサポートした元親方の大ノ海の次男は、上野原町に留まる師匠に入れ替えようと現親方に名跡の返還を求める訴訟を墨田区移転の際に起こしたが、現親方側が勝訴して決着した。
目次 |
[編集] 花籠親方
- 太寿山忠明(元関脇・新潟)
[編集] 十両
- 光龍忠晴(モンゴル)
[編集] 旧花籠部屋
花籠部屋はもともとは、1929年(昭和4年)、引退した元関脇三杉磯善七が伊勢ノ海部屋に自分とともに預けられていた幕内開月勘太郎たちを連れて、創設した部屋。幕内富ノ山等、藤田山忠義を育てたが、1947年(昭和22年)で部屋を閉じ、藤田山たちを高砂部屋に預けた。
二所ノ関部屋の大ノ海は力士としては前頭止まりに終わったが、引退後の1953年(昭和28年)に開いた花籠部屋(当初は芝田山部屋)は横綱若乃花、輪島ら多数の関取を輩出した。
1981年(昭和56年)、部屋を継いだ元横綱輪島は金銭問題が多く、年寄名跡を担保に金を借り協会から処分を受け、1985年(昭和60年)12月に廃業、元魁傑や元若秩父に名跡と部屋の継承を打診したが断られ、結局、弟子は放駒部屋に預けられた。
[編集] 花籠親方(旧部屋)
[編集] 横綱・大関(旧部屋)
- 横綱
- 大関
[編集] 幕内(旧部屋)
- 関脇
- 小結
- 平幕
[編集] 外部リンク
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