細川利愛
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細川 利愛(ほそかわ としちか)は、肥後熊本新田藩の第8代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 天明8年7月8日(1788年8月9日) | |||
死没 | 天保12年7月4日(1841年8月20日) | |||
別名 | 富之助、中之助(幼名) | |||
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺妙解院 | |||
官位 | 従五位下、采女正 | |||
藩 | 肥後熊本新田藩主 | |||
氏族 | 細川氏 | |||
父母 | 父:細川利庸 母:白鳥氏(恵明院) 養父:細川利国 |
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兄弟 | 兄:細川利国 弟:細川利安、細川利和、細川利豊、 細川利器、細川方利 |
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妻 | 正室:酒井忠哲の娘・明姫(方子) 側室:山川氏、ミネ、ミチ |
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子 | 6男4女(細川利正、細川利永、細川倫親) 養子:細川利用 |
1788年7月8日、第6代藩主・細川利庸の三男として生まれる。1809年9月に兄で第7代藩主・細川利国の養子となり、1810年に兄が死去したため、後を継いだ。同年12月に従五位下、采女正に叙任する。1833年11月8日、病気を理由に兄の長男・細川利用を養子として後を継がせて隠居し、1841年7月4日に死去。享年54。